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アート・ランブル 第0回

「アート・ランブル」連載開始にあたって

確実に胎動がある。2011年の東日本大震災から2020年の東京オリンピック、それを結ぶ線上を現在日本の社会状況とそれと相関するシーンの底流をアーティスト中島晴矢が鮮やかに描く!
(c) HARUYA NAKAJIMA, 2017
(c) HARUYA NAKAJIMA, 2017

 日本の現代美術において、若い世代のアーティスト群を中心に、美術館やギャラリーといった既存のシステムとは異なる形で、ある新しい動向が自生的に広がりつつある。その動向は、具体的には制作レヴェルから作品の内実、展示スペースや情報発信の方法まで多岐に渡ろうが、本連載では、そういった新しいアートシーンの定点観測を企図している。なにしろ、展覧会は忘れ去られる。まだ有名性や市場価値を保持していない作家・作品の場合は特に。とはいえ、何もそれは若手に限ったことではない。椹木野衣が言ったように、日本では西洋的に歴史が積み上がらず全てが忘却されてしまうという「悪い場所」に通ずる、日本の美術史全体が抱える本質的な問題でもあるだろう。その日本的健忘症に抗うためにも、言語化が不充分なシーンの定期的な記録が不可欠であることは言を俟たない。むしろその一つ一つの記述をもって今日のアートシーンの全体像を帰納的に描き、それが胚胎する「新しさ」を中長期的に炙り出すことが本連載の命題と言えよう。

 その上で、今日のアートシーンを俯瞰するにあたり一本の補助線を引いてみたい。それは「3.11以後―東京オリンピック以前」というものである。このラインは、言うまでもなく2011年3月11日の東日本大震災から2020年に予定されている東京オリンピックまでを指すが、両者を結ぶ線上に、2010年代の日本の社会状況と、それと相関するシーンの底流が形成されていると考えるからだ。

 まず3.11を契機に、土地をモチーフとしたり地域と関わったりして創られ発表される現代アート作品・展示が散見されるようになった。この世界の現実と、それをどの程度であれ反映するに違いない芸術表現という二層の次元において、やはり震災と原発事故は大きな衝撃をもたらした。その時、福島や東北を中心に、土地の固有性というものが前景化したのではないか。例えば地震や津波は被害にあうかあわないかの地理的条件を無情にも暴きたてたし、放射能漏洩や帰還困難区域は、不可視の物質によって引かれる物理的な境界を抉り出した。厳然たる事実として、緯度・経度レヴェルの地理的な入れ替え不可能性が立ち上がったのだ。むろん3.11の問題を当事者やその周辺で囲い込むべきではないが、IT技術の革新も含めてゼロ年代に支配的だったように思われるグローバルな連帯の幻想が崩れ、ローカルな場所の重要性がのっぴきならない切実さで迫ってきたと言えよう。

 それらの状況に対する代表的な実践としては、Chim↑Pomらによって帰還困難区域で企画された、封鎖が解除されるまで視ることのできない国際展「Don't Follow the Wind」(2015 - )や、福島県いわき市の様々な市街地にて三年連続で開催されたカオス*ラウンジの「新芸術祭」(2015-17)が挙げられる。またその2グループに加え、キュンチョメやSIDE COREも参加し、宮城県の石巻で開催された「Reborn-Art Festival」(2017)も記憶に新しい。

 一方で被災地のみならず、そこから逆照射されるように浮かび上がった都市として、東京がある。東京の電力を供給する福島の原発というねじれに象徴的なように、両都市はコインの裏表かもしれない。なにより震災から幾許も過ぎぬ2013年9月には、被災地の全面的な復興はもちろん、原発事故の収束や仮設住宅の問題もままならない状態で、2020年の東京オリンピック開催が決定された。これらを端緒として、この国の首都をめぐる言説がにわかに活性化したのである。ザハ・ハディト案が白紙化し、急遽再コンペによって隈研吾案が採用された新国立競技場に関する一連の騒動に端的に示されているように、震災とオリンピックに挟まれた復興≒再開発における諸問題は、土木から建築、都市計画に到るまで、大きな射程を描いて横たわっている。

 それを反映してか、美術館でも数多の建築展が開かれているし、Chim↑Pomの新宿歌舞伎町の解体予定のビル一棟を使った展示や高円寺キタコレビルで屋内に道を再現した「Sukurappu ando Birudoプロジェクト」(2016-)や、筆者も作家として参加したSEZON ART GALLERYでの「建築 / 土木 / 震災 / オリンピック」をテーマとしたグループ展「ground under」(2017)、そして直近では大林財団助成事業「都市のヴィジョン」として青山で開かれた会田誠展「GROUND NO PLAN」(2018)と、東京を中心に建築や都市をテーマとした展覧会は枚挙に暇がない。

 さらにこの都市論的主題の活況は、なにも被災地と東京ばかりでなく、全国的に展開されている現象でもある。渋家やギークハウスといったシェアハウスが若い世代を中心に増殖していくゼロ年代後半から、美術館やコマーシャル・ギャラリーといった中央の制度・権力を経由しない無数のオルタナティブ・スペース、あるいはアーティストたちのアトリエやスタジオそのものまでが半ば開かれた形で、各地でインディペンデントに営まれているのだ。アート・コレクティブの林立も相俟って、個人・集団問わず多数のプレイヤーによって運営されるそれらコミュニティの背景には、それぞれ固有の地域性が刻まれている。

 そもそも近年、日本中で開催されているのが多種多様な芸術祭だ。ビエンナーレやトリエンナーレ、アートフェスから町おこし的なアートイベントまで全国で芸術祭が乱立している現在、展示する地域の風土や歴史に則ったサイトスペシフィックなアートの作り方や見方が広く一般化している。その上で芸術祭を意識することがアーティストと鑑賞者にとって自明の前提となっているような「ポスト芸術祭」的状況があると言えるかもしれない。

 これらを踏まえれば、「3.11以後—東京オリンピック以前」というある種の間隙に位置する現在、アート乃至アーティストが土地や地域、都市といった「場所」(トポス)と如何に関係するかというテーゼが、シーンの潮流を創出していると言って過言ではない。本連載では斯様な見立ての元で、地理的な大きな枠組みとアートとしての個別の実践をテレコにしてみていきたいと思う。それを時評として継続することで、おそらく現代美術におけるこの時代特有のある“地図”が描けるのではないだろうか。

WRITER
執筆者

  • 中島晴矢
    なかじま はるや
    中島晴矢

    Artist / Rapper / Writer
    1989年生まれ。主な個展に 「麻布逍遥」(SNOW Contemporary, 2017)、主なグループ展に「ニュー・フラット・フィールド」(NEWTOWN, 2017)「ground under」(SEZON ART GALLERY, 2017)、アルバムにStag Beat「From Insect Cage」など。当ウェブサイトのほか、Bug-magazineで「東京オルタナティブ百景」を連載中。
    ウェブサイト: haruyanakajima.com

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