LINA & NANAさん (MAX)
アメリカンガールズロックユニット・PASSPO☆によるインタビュー連載企画! 第16回目のゲストは、MAXのLINAさん&NANAさんです。活動を続けてきての悩みは? これからの活動はどうなる? 芸能界の先輩に、気になる話をPASSPO☆が根掘り葉掘り聞いてきました!
根岸 「ライブを見させていただいたんですが、とてもステキでした!」
NANA 「ありがとうございます」
森 「想像していた100倍踊っていらしたので、びっくりしました」
LINA 「もう変わらず、あのスタイルですね。10代のときから」
森 「ヒールで踊るのも、ずっと変わらずですか?」
LINA 「ずっと変わらない」
PASSPO☆ 「すごい!!」
NANA 「あれ? みんなが踊っているときは?」
藤本 「運動靴です」
LINA 「運動靴(笑)」
根岸 「ミュージックビデオとか、テレビに出るときに頑張ってヒールを履くぐらいです。だから、すごいなと思って」
LINA 「そっか。私たちはいつも、10センチ、9センチぐらい(のヒール)」
PASSPO☆ 「高い!」
LINA 「ヒールの高さも10代のときからあんまり変わってないよ」
NANA 「そうだね。その時代の流行りっていうのもあったけど、MAXはみんな身長がそんなに高くなかったから、最初は衣装とのバランス取るためにヒールを履いてパフォーマンスしていて。でも、それに慣れちゃうとヒールのほうが踊りやすくなるんだよね」
PASSPO☆ 「えぇ!」「すごい!!」
増井 「足、つりませんか?」
LINA 「大丈夫(笑)。意外と、捻挫したり足を痛めたりしたことが一度もないの」
増井 「すごい!」
根岸 「そもそもグループを結成したきっかけはなんだったんですか?」
NANA 「沖縄のタレントスクールでみんな一緒にレッスンしてたんです。最初はNANAとMINAがスーパーモンキーズっていう別グループだったり、いろんなメンバーチェンジもあったりもしたんだけど」
根岸 「最初は何人だったんですか?」
NANA 「本当に初期は7人グループで、男の子が2人入ってた。そこから女の子5人組になって、それで2年ぐらい活動したかな。やっぱり当時は女の子たちで歌って踊るグループっていうのがほぼいなくて、なかなか結果が出せなくて。何回かメンバーチェンジを繰り返して、LINAとREINAが入ってからちょっとずつ世の中に知れ渡るようになって、そのグループのまた派生というか、企画ものでMAXっていうグループができた」
根岸 「企画?」
NANA 「そう。そのときのデビュー曲が『恋するヴェルファーレダンス』っていうんだけど」
LINA 「その1曲を歌う女の子たちをレコード会社が探してて、じゃあ1曲その企画もので歌おうってことでグループ結成したんだよね」
根岸 「何歳ぐらいのときなんですか?」
NANA 「そのときが15歳」
根岸 「スクールに入ったときは何歳ですか?」
NANA 「13歳のとき」
LINA 「ということは、私は12歳か。最初は、沖縄でポニーキャニオンオーディションがあって。優勝したらメジャーデビューできるオーディションだったんだけど、そこでナナコ(NANA)と初めて会ったんだよね」
NANA 「そう! 同じオーディションだったの。すごいめぐり合わせだよね」
LINA 「ね。で、全然知り合いじゃないんだけど、存在は覚えてて。結局そのオーディションでは優勝者は出なかったんだけど、そこからレッスンやってみない?って声掛けてもらってスクールに入ったんだよね」
玉井 「当時、学校とか行けてました?」
NANA 「全然行けてなかった。中学校を卒業して、すぐ東京に来たから」
根岸 「そういうことか?」
NANA 「そう。当時は沖縄からデビューするグループがいなかったから、通っていたタレントスクール自体が『これで大成功しないとあとが続かないぞ』っていうムードで」
根岸 「背負ってる感じですよね」
NANA 「そうだね。15、16歳だったけど、背負ってるものは自分だけの夢じゃないっていう。先輩・後輩、みんなのデビューっていう夢を私たちが掴んだわけだから、絶対に簡単な気持ちでやっちゃいけないし、成功するまで沖縄に帰れない!と思ってた。その気持ちはすごく強かったな」