もの言う患者
~がん患者と医師のまじめな喧嘩~
第1回
はじめに
- 編集部から
- なんか具合が悪い。病院に行く。医師に診てもらう。会計をすませ処方箋をもらう。薬局に行って薬を出してもらう。家に帰って薬を飲んで横になる。翌日あるいは数日経つとなんとか調子が戻ってくる。そして、病院に行ったことも忘れてしまう。そういう病気ばかりが病気じゃありません。
手術や長期の療養が必要な病気もありますし、手術は成功したもののその後ずっと定期的な通院と服薬が必要な場合もあります。さらに、病気からの回復が見込めないこともあります。病気と生涯付き合う場合もあれば、病気の進行が止められず、命を落とす場合もあります。
一般に病気は厄介ですし気が重くなるし苦しいものです。生まれてから死ぬまで、人間の身体と精神にあっては、重大なものからそうでないものまで、なんらかの不調と回復のサイクルが絶えることはありません。
日本では健康保険が普及し、病院は行きやすい場所になりました。しかし、病院に不満を覚えなかった人があるでしょうか。診察室では、医学的知識と臨床経験を積んだ医師と私たちのあいだに、圧倒的な不均衡(アンバランス)があるからです。その日、私たちは具合が悪く、気弱になっていますから、この不均衡は巨大です。
さらに病院はいつも混み合い、3分間診療などと言われる始末(なぜ混雑するのか、その解消法はないのかについてはいま措きます)。さんざん不平不満が並べられても、慌ただしい診察(加えて、つっけんどんだったり冷淡だったり横柄だったりするあしらいなど)は、すぐには変わりそうもありません。
(医師や看護師や病院事務など医療スタッフはいつも忙しそうだし、疲れているように見えます。スタッフの疲弊と激務を知っても、患者である私たちにはどうすることもできない、という思いがあります。)
診察室の居心地の悪さ・威圧される感じ・言いたいことも言えない、訊きたいことも訊けない雰囲気に象徴される、医師と私たち患者のコミュニケーション不全が消えることは当分なさそうです。
さて、ここに、一人の「もの言う患者」がいます。乳がんを患っています。10年以上の試行錯誤、葛藤、絶望、怒り、あきらめ——ありとあらゆる感情の嵐をくぐり抜け、(これまでの私はともかく、今後)患者がこんな思いに追いやられるのを繰り返していてはいかんだろう!と思い立ちました。
そこで、診察室では医師に訊けないが、ほんとうは知りたいことを、信頼する医師に率直にぶつけてみました。いったいどうしてこんな思いをしなければならないのか、その解決の糸口にならないか、だれしも病を背負うものならば、自分の経験を踏み台にしてほしい、困っている人に役に立つ情報を提供したい、という希望をこめています。
これから連載でご覧に入れるものは、「もの言う患者」である冨田香保里さんと、医師の高野利実先生のQ&Aです。今回はその第一回。お二人の「はじめに」を掲載します。(編集部)
はじめに
冨田香保里
がんを告知されると、患者は急に神経質になって、医師に求めるものが、告知前とまったく変わってしまいます。
自分に対して真摯に向き合ってくれているのか、医療者としてちゃんとした人なのかとても心配になるのです。何せ自分の命がダイレクトに掛かっているのですから、仕方がないですね。医師と一対一で向き合う診察室は、私たち患者にとってまさに命のやり取りの現場です。
この感覚が、医師にちゃんと理解されていないのではないか、と私はずっと感じてきました。
そして、いつも思うのです。診察室を出て帰路につき、なぜ、あの時もっとちゃんと質問できなかったんだろう。なぜ、時間を気にしてヘラヘラと笑顔で部屋を出ちゃったのかしら、と。自分に対する情けなさ、そして、悔しさにおそわれます。──でもちょっと待てよ、と思うのです。「別に患者は悪くないでしょ」と。
心ない言葉を口にして患者である私を傷つけたのも医師だし、訊きたいことを十分に訊く時間をつくってくれなかったのも、患者の責任じゃありません。
ちなみに私の病歴は、2003年に乳がん発見、その後7年間代替療法で安定するも、2010年骨転移、抗がん剤治療開始、現在に至る、です。
そうこうしながら、私は私にとって満足の行く医師を探しまわりました。これを人は「ドクターズショッピング」と言ってイヤな顔をします。が、自分にピッタリの環境や条件を探すのは(普段だれでもやっていることだし、がん患者になったからには)当然のことです。
案の定、と言うべきか、虎の門病院の高野先生との初回の診察も険悪でした。先生はいきなりこう言ったのです。
「あなたはこの病気で死にます」と。
頭まっ白けで帰りました。汗びっしょりで。
でも、何か心に残るものがあって、次もメゲずに行きました。すると先生は、あろうことか、また同じお言葉をのたまわったのでした。「あなたはこの病気で死にます」と。
私はもう返す言葉も気力もなく、思わず先生のイスを、蹴り飛ばしてしまいました。キャスター付きのイスはばぁーんと後ろへ下がって先生は離れて行きましたが、すぐに足で漕いで戻って来ました。
私が、「人は何が原因で死ぬかだれにもわからないでしょ。先生だって、明日交通事故で死ぬかもしれないじゃない。今の言葉、訂正してください」と半ばタメ口で言うと、やや間があって、「訂正します」と意外な答え。
これでいっぺんに高野先生を「イイ奴」ランク(?)上位に入れてしまい、ついでに、これを機会に、私だけ一方的にタメ口が許される、という「カジュアル特典」が付きました。
その後もケンカは続き、「イヤなら来なきゃいいじゃないですか」「イヤ、また来る」などの諍(いさか)いが頻繁にありましたが、3年経った今、2人とも穏やかに、平和な会話ができるようになりました。ちなみに高野医師は私の主治医ではなく、アドバイザー的立場で、3ヶ月に1回診てもらっています。(2014年8月—2015年3月)
はじめに
高野利実
いきなり冒頭から不穏な感じですね。「これまでの年余にわたる、「診察室での語り合い(言い争い? ケンカ?)」を、診察室だけにおさめておくのはもったいないので、本にしてみたい」という、冨田さんからの提案に、最初は「面白いかも」と、僕も乗り気だったのですが、冨田さんの冒頭の文章を読んで、少々ドキドキしてきました。
読者の方は、この高野という医者は、不安におののく患者さんに向かって、椅子にのけぞりながら、「あなたはこの病気で死にます」と、悪魔のように言い放つ、心ない医者と思われたかもしれません。でも、あの場面では、冨田さん以上に、僕も不安だったんじゃないかな、と思います。
気の小さい僕は、生まれてこの方、ずっと女性の顔色をうかがって生きてきました。子供のころは、母親の影響力が大きかったし、医者になってからは、看護師さんに怒られないようにビクビク仕事をしているし、結婚してからは、一番怖い女性が家にいるし。そんな僕が、よりによって、ほぼ女性の病気である乳癌を専門とする医者になってしまったのですから、大変です。火曜と水曜は、朝から夜まで、主に乳癌の女性を30人ほど診るわけですが、そんな外来日の朝は、出勤するのも不安で憂鬱なんです。
初めての患者さんを診察室に迎えるときは、こちらの緊張も頂点に達します。冨田さんのような個性的な方を迎えた場合なんか、なおさらです。イスを蹴り飛ばされたというのは、(恐怖のあまり?)私の記憶からは消えているのですが、そんなことまでされていたんですね。心拍数はふだんの3倍くらいになっていたんじゃないでしょうか。
冨田さんの「はじめに」に、「あなたはこの病気で死にます」と、僕がいきなり言ったと書いてありますが、さすがに、何の前振りもなく、こんなことは言っていないと思います。進行がんの場合は、がんを完全にゼロにすることは期待しにくく、この病気で命を落とす可能性が高いというのは事実ですので、この事実は伝える必要があると思っていて、きっと、言葉を選びながら、それを伝えたはずですが、どんなに言葉を選んでいようとも、「あなたはこの病気で死にます」という露骨なフレーズとして、患者さんには深く突き刺さっているということですね。
でも、この事実を告げるだけで終わっていたら、それは、確かに悪魔です。進行がんの患者さんにこの事実を伝えるときは、患者さんの反応を注意深く見ながら、言葉を選んで伝えるわけですが、大事なのは、この事実を伝えたあとに、「希望」を共有することです。
僕は、「あなたの病気はゼロにならず、いずれ命にかかわるようになる」ということを伝えたあとで、「でも、それは絶望じゃないんですよ。たとえそうだとしても、目標を持って、これからの時間を過ごしていきましょう」「病気がゼロになるかどうかなんて、実は重要な問題ではないと僕は思っています」「ゼロであろうがゼロではなかろうが、希望と幸せと安心を目指すということに変わりはありません」なんてことを言うわけです。
冨田さんにもそこまで説明したはずですが、あまり伝わっていなかったんですね。「治らない」と聞いただけで、絶望の宣告と受け止め、それ以降は「頭が真っ白になって、説明が何も聞こえなくなっていた」なんていう患者さんも多いですので、難しいところです。
冨田さんは頭が真っ白になったということはなかったようですが、頭が沸騰してしまったようですね。そんなやりとりの中で、売り言葉に買い言葉というか、直接的な表現のやりとりが展開されたのでしょう。まあ、その結果、それなりの信用を得られたということなので、結果としてはよかったのかもしれません。
僕の本音や、伝えたいことは、本書を通じて具体的に書いていこうと思いますが、医者も生身の人間であり、こっちも、緊張してドキドキして、感情の起伏があって、いろいろと悩みながらやっているということをわかってもらえたら嬉しいです。
本来、こんなことを本に書いてみなさんに読んでいただくなんて、考えもしないことでした。むしろ、そういう本音を隠して、「医者らしく」見せることが信頼を得る近道なのかと思っていた節もあります(「医者らしく」って何よ?っていう冨田さんからの突っ込みが聞こえてきそうですが)。
今回、冨田さんからの提案でこのような機会を与えていただけたことを、ありがたく思います。と言いつつ、このような本音を書いていいのだろうか(不快に思う患者さんもいるのではないか)、というためらいがあるというのもまた本音です。
この原稿を、ここまで書いたところで、冨田さんの訃報に接しました。
本書は、冨田さんの遠慮のない質問に、私が本音で回答し、さらにそこに冨田さんからの鋭い突っ込みが入る、という形を取る予定でしたが、私の筆が遅かったがために、私の回答は、天国の冨田さんに向かって一方的に語りかけるだけになってしまいました。
それでも、冨田さんは最期のときまで、本書が世に出ることを望んでおられたということです。複雑な感情が交錯していますが、生身の人間としての医者の本音をさらしてほしいというのが、冨田さんの希望でしたので、それにできるだけ応えたいと思っています。
診察室で丁々発止やりあっていた頃を昨日のことのように思い出しながら、もう再びは直接やりあうことのない現実の中で、それでも、今こうやってコンピュータに向かって原稿を書いているのを冨田さんが覗き込んでいるような、そんな感覚で書き進めています。
ドキドキしながら、そして、冨田さんのご冥福を心より祈りながら。(2015年6月)