もの言う患者
~がん患者と医師のまじめな喧嘩~
第2回
医師と患者のコミュニケーション
- 編集部から
- 今回から、冨田香保里さんの問いかけに、高野利実医師が答える「Q&A」スタイルで、連載を続けます。冨田さんはすでに今年(2015年)3月にお亡くなりになっていますが、生前、高野医師への質問(Q)は全部書き終えておられました。今回から、冨田さんのご主人・中嶋一さんに文章を寄せていただくことにしました。冨田さんの人となり、仕事、病との対し方、さまざまな葛藤など、患者と医師の「Q&A」に収まりきらない部分を執筆いただきました。
<連載目次>
第1回 はじめに(冨田香保里+高野利実)
第2回 医師と患者のコミュニケーション
メモランダム:妻 冨田香保里のこと(中嶋一)
(以下次号)
死について
病院というもの
治療について
番外編 おわりに(高野利実)
Q1. 冨田さんから高野医師へ
がんは他の病気と違って、患者が医師に求めるものが重大。自分に真剣に向き合ってくれているのか、医療者として、ちゃんとした人なのか、患者にとってはとても心配なのです。これが医師に伝わっていない気がする。医師個人の情報は患者にとってあまりに少なく、それでいて、患者の個人情報は「まるはだか」です。先生はどうお考えですか?
A1. 高野医師から冨田さんへ
他の病気がそうではないとは思いませんが、がん患者さんが医療に求めるものは、たしかに大きいと思います。
その追い求める医療を行い、追い求める目標に近づけるようにサポートするのが、医師という存在です。
医師は、その任務を
患者さんは、医師に対し、医師としてのプロフェッショナリズム、すなわち、上で書いた「知識と技術」を求める一方で、人間味あふれるヒューマニズムを求めているのかもしれません。
がん患者は、特にその両方を求める傾向が強い、というのが、冨田さんのお考えですね。
医師という職業を選んだ私としては、できるだけそういう期待に応えたいと思いつつ、そんなスーパーマンはいないよな、ともつぶやくわけです。
知識や技術は、それなりにあるとはいえ、完璧じゃないし、人間性にしたって、
それでも、私は、「患者さんに幸せになってほしい」という想いは常に持ち続けています。完璧な医師とは言えないけど、不器用で気が小っちゃいけど、そんな私なりに、一生懸命やっているつもりです。
そんな医療者の想いと、患者さんの求めるものが重なったとき、「いい医療」が生まれるのだという気がします。
冨田さんの言う「医師個人の情報」というのは、どういうことでしょうか。
・○○県生まれの○○才で、○○大学を卒業していて、○○病院で研修して……とか、
・今までにこんな論文を書いて、こんな学会発表をして、こんな賞をもらって……とか、
・旅行や音楽鑑賞が趣味で、○○が特に好きで、週末は○○の観戦に行くのが楽しみ……とか、
・子供が何人いて、上の男の子は○○に熱中していて……とか。
そういう情報がわかれば、患者さんが医師を選ぶのに役に立つということでしょうか。
たしかに、そういう情報があれば、医師としての経験や専門性を判断する根拠になったり、一人の人間としての医師を、より身近に感じられるようになったりするかもしれません。でも、そういう情報が必要かというと、私は、あまりそうは思いません。
今の時代、インターネットで検索すれば、
患者さんの個人情報は、担当医に対して「まるはだか」かもしれませんが、医師の個人情報も、不特定多数のネット空間で「まるはだか」に近い状態のような気もします。
医師も、自分自身はともかく、大事な家族を守らなければいけませんので、これ以上、むやみに個人情報をさらすわけにはいきません。
そもそも、担当医が患者さんの個人情報を知っているのは、担当医が興味本位で
そして、その情報は、診療目的で使用するように制限されていて、医師には、患者さんの個人情報を
なので、患者さん自身が「まるはだか」だと感じるということと、医師の個人情報を不特定多数に対して「まるはだか」にすべきだというのとは、違うレベルの話と言えます。
医師の立場で言うなら、不特定多数に対する場合と、目の前の一人の患者さんに対する場合とで、対応は全然違います。
不特定多数に対しては言えないようなことも、診察室で患者さんと向き合っているときには、ポロッと言ってしまったりします。
時間に余裕があれば、患者さんと自分の共通の趣味の話で盛り上がったりもします。
そういう診察室での会話で、医師の人間味を感じることができるなら、それは、とてもよいことだと思います。
ややこしい話にしてしまいましたが、冨田さんの求める、「医師の個人情報」というのは、そういうことだったのかもしれませんね。
個人情報を不特定多数に対してまるはだかにすべきというわけではなく、診察室ではもっと個人をさらけ出してほしいと。
この連載(冨田さんとのQ&Aのやりとり)も、不特定多数に対して公開しているので、全く自由に書けているわけではありませんが、冨田さんと診察室でああだこうだ言い合っている個人的な会話を想定して、書き進めたいと思います。
普段、不特定多数の読者に対して書いているような
知識や技術のない医師よりも、経験豊富で腕のいい医師の方がよいでしょうし、性格に問題のある医師よりも、温厚な医師の方がよいでしょうが、それをどうやって判断し、また、どうやってそういう医師にたどりつけるのでしょう。
それが自由にできないのはおかしい、というのが冨田さんの想いですね。
私が勧めるのは、ネットで医師の情報をあれこれ検索するよりも、診察室で、実際に面と向かって会話を交わして、相性を判断することです。
信憑性の低いネットの情報より、その方がよっぽど有用です。
ネットで素晴らしい医師だと書かれていたのに、実際に会ってみたら全然ダメだったとか、そんな話はザラにあります。
ネットの情報とか、出身大学とかで医師を選ぶことはお勧めしません。
でも、医師を選ぼうと思ったって、日本中の医師に会えるわけではありませんので、実際に会話を交わせる医師はごくわずかです。でも、それは、ご縁というか、運なのかもしれません。
冨田さんが、私の患者さんになったのが、ラッキーだったのかそうではなかったのかは、私にはわかりませんが、そういう
診察室で初めて会った日には、お互い、想像もしなかったことです。これは、運命というしかないでしょう。
そもそも、今の日本の保険診療では、患者が医師を選ぶことは想定されていません。
聖人君子のような医師が診ても、悪徳医師が診ても、教授が診ても、研修医が診ても、ネットで有名な「名医」が診ても、ネットで悪名高い「ヤブ医師」が診ても、医師免許を持っている医師が診察していれば、診療報酬は一緒です。
お金持ちがお金を積めば医師を自由に選べるというわけではないのです(保険外の自由診療であれば、話は別ですが)。
病院で働く医師からしてみれば、患者さんに選んでもらって、たくさん患者さんが来てくれても、給料が上がるわけではなく、ただ忙しくなるだけです。
とすると、いい医療を行って、たくさん患者さんに来てもらおう、という動機はあまり働かないことになります。
多くの医師は、お金がほしくて医療を行っているわけでも、できるだけ楽をできるようにさぼろうと思っているわけでもなく、いい医療を行って、患者さんに幸せになってほしいと心から願っています。
それでも、「いい医療」を推進するためには、動機付けも必要ということで、最近は、「時間をかけて丁寧に説明したら、その分、診療報酬を上げよう」という方向性も検討されているようです。診療報酬で操作される「いい医療」というのも微妙ですが、純粋に「いい医療を行いたい」と思っている医者をサポートすることになるのであれば、それなりに重要な方向性だと思います。
それともう一つ、患者さんが医師を選ぶ、という話を議論しているわけですが、医師の方は、患者さんを選べないんですよね。
医師には、診療を求められれば、それを
医師も人間なので、相性のよい患者さんもいれば、そうではない患者さんもいるわけですが、あの患者さんは自分に合わないから、といった理由で担当を変わるわけにはなかなかいきません。
患者さんの個人情報が「まるはだか」になっていたとしても、それで医師が患者さんを選んでいるわけではないということですね。
そんな事情もわかってもらいたいと思いつつ、でも、患者さんは、好きで選んだわけではない病気に
「患者はこうだ」「医師の方こそこうなんだ」なんていう議論は水掛け論になって、あまり実りはないので、これくらいにして、今回のQに対する回答をまとめたいと思います。
【まとめ】
「診察室では、患者と医師の立場を尊重し、いたわりつつ、お互い、一人の人間として、率直な想いを語り合い、ときには、雑談を交わすくらいの余裕も持ちましょう。」
- メモランダム:妻 冨田香保里のこと 第1回
- 中嶋一
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私の妻である冨田香保里さんは、2003年9月、都内のある総合病院(以下K院)の乳腺科で告知を受けました。
ステージ1、転移性の乳がんとのことでした。最初に検査を行い、告知を受けたのは30代半ば位の女性医師からでした。
女性医師から、標準的治療の種類や、治療方針等について説明を受けました。私たちは、この病気のことを何も知らないため、満足な質問もできずにいました。そして香保里さんが、女性医師に尋ねました、「わたしがこの病気になった理由は何でしょうか」。香保里さんはその時、今後の治療方針より、なぜ自分が乳癌になってしまったのか、という思いが頭の中を巡っていたと思います。
理由がわかれば病気は治る、と思ったのではないかと思います。その後の治療遍歴の中でも、常になぜ自分がと問い続け、自分の生活や意識を変えることに注力していました。
自分の生活のどこに問題があったのか、食事に問題があったのか、たばこを吸ったからか、子供がいないからか、ストレスか、SEXか、お酒か、住環境か、ご先祖様を敬わないからか、子供の時同級生をいじめた罰か、遺伝か、なぜこの部位なのか、止めどもなく湧き起こる「なぜ」を、自分自身に向けていました。その女性医師にとって、大変難しい質問だったと思います。女性医師は香保里さんの気持ちを軽くしてあげようと思ったのかもしれません。
難しい質問に半分ジョークのつもり(だと思いたい)で、「奥様はボインだからこの病気になりやすいのかも、私はペチャパイだから大丈夫かも」とお話しされました。
えっ!!香保里さんと私は、何と答えてよいかわからず、もうそのことには触れず、治療方法について質問し、後日連絡する旨を伝え、診察室を出ました。
帰路、香保里さんは、あの先生との治療は絶対嫌だ、先生を変えてもらおう、そうでなければ、別の病院に行くと言うのでした。
私は、フランクでいいじゃないかとも思いましたが、香保里さんは、生きるか死ぬかという一大事に、「ボイン」とはなにごとか、人を馬鹿にしている、そんなデリカシーのない医師に治療は任せられない、と感じているのだな、と理解しました。
K院には、当時から患者さんやその家族のためのソーシャルワーカーが常駐しており、医師を変えてもらえるか相談したところ、乳腺科部長のM医師の外来日に診察予約し、治療してほしい旨を直接伝えたらどうか、とのアドバイスをもらいました。
M医師には「ボイン」の一件は伝えず、別な先生に告知を受けた旨を伝え、再度この病気の治療、今後起こり得るさまざまなことについての説明を受けました。
M医師の見立ては、緊急を要する状況でないため、経過観察をしながら、ゆっくりと今後の方針を決めて行こう、というもので、その間に、この病気を勉強し、今後の治療に備えた身体作りをして、生活改善を図ろうということになりました。
M医師とは、相性が良かったようで、その後2010年骨転移発覚までの7年間、付き合いが続きました。
K院には月1回通院し、検査を受けて、経過観察していましたが、同時に都内のいくつかの有名病院やクリックで問診を受け、病院主催のセミナー等に参加していました。
すべてのセカンドオピニオン(おかしな言い方ですが)や診察に私が同行したわけではありませんが、嫌な思いをして帰ることが多かったような気がします。
大病院でも、クリニック系でも、結局最後は、医師が香保里さんの質問に閉口して、「最後は当院で治療するのか」、「あなたの希望通りの治療をする」、「あなたのようなことを言っているとがん難民になりますよ」、おおよそこんなふうに対応されるのでした。
香保里さんは、常に、医師に訊 きたいことを、事前に小さいスケッチブックにメモをして病院に行きます。その習慣は最後の入院まで変わりませんでした。
多くの病院を回り、医師の話を聞き、この病気について学習しているのに、他方、現代的な医療や医師の態度、病院のシステムそれ自体に不信感を強めていったようです。
この連載タイトルの『もの言う患者』は、すでにこの時に決定されていたのではないかという気がします。(以下次号)