第3回 医師は神様ですか?

冨田香保里/高野利実(虎の門病院 臨床腫瘍科部長)/中嶋一
編集部から
冨田香保里さんの問いかけに、高野利実医師が答える「Q&A」スタイルで連載しています。冨田さんはすでに今年(2015年)3月にお亡くなりになっていますが、生前、高野医師への質問(Q)は全部書き終えておられました。文末「妻 冨田香保里のこと」では、冨田さんのご主人・中嶋一さんに文章を寄せていただいています。冨田さんの人となり、仕事、病との対し方、さまざまな葛藤など、患者と医師の「Q&A」に収まりきらない部分を執筆いただきました。

<連載目次>
第1回 はじめに(冨田香保里+高野利実)
第2回 医師と患者のコミュニケーション
第3回 医師は神様ですか?
メモランダム:妻 冨田香保里のこと(中嶋一)

(以下次号)
病院というもの
治療について
番外編 おわりに(高野利実)

Q2. 医師は神様ですか?

 死に至るまでのプロセスを見通してなのか、医師は、患者の病状に対して常にネガティブな見解を述べます。とても慎重です。治ると言ったのに治らなかった、そうなれば裁判になる? それが怖いのでしょうか。ウソでも「治す」と言ってほしい。患者の気持ちを理解してほしい。たしかに、医師は命の終わりのごく近くにいますが、医師が生死を決定することはできません。人はいつ何で死ぬかわかりません。そんなことはもうほとんど神の領域です。患者には、余命宣告を聞かない権利だってあります。余命宣告を聞いた私は、泣いて怒りました。しかし、あれから5年、もうとっくにその年数(余命)は過ぎました。

A2. 高野医師の回答

 医師は神様じゃありません。少なくとも、私は神様じゃなくて、普通の人間です。
 「ゴッドハンド(神の手)」を持つという外科医が、「スーパードクター」と紹介され、よくテレビに出てきますが、神様とは、そういう医者のことでしょうか? 不器用な私の手は、ゴッドハンドとは程遠く、緊張すると震えるし、患者さんに問い詰められると、冷や汗をぬぐったり、無意味な動きをしたり、落ち着かなくなります。私の手は、まぎれもなく、「人間の手」であり、手だけではなく、顔つきも、心も体も、こてこての「人間」です。
 患者さんにとっては、神様と、人間と、どちらがお望みでしょうか? 手術を受けるのなら、不器用な医者よりも、指先の器用な外科医の方がいいですよね。私だって、自分が手術を受けるのなら、そう思います。でも、最近は、「ロボット手術」も実用化され、人間(外科医)の遠隔操作のもと、正確な手術が行われています。ロボットが神業〔かみわざ〕のような手術をしてくれる時代も遠くなさそうですが、かといって、ロボットが神様になるわけではないですね。
 神様のように人間離れした仕事をこなすロボットができたとしても、診察室には、ロボット医者ではなく、人間味のある医者にいてほしいと、多くの患者さんは思うのではないでしょうか。

 だいぶ話がそれてしまいましたが、冨田さんが問題にしているのは、そういうレベルの話ではなく、医者の「死」に対する態度、あるいは、「死」をめぐる患者さんとの語り合いについてですね。
 冨田さんの言う「神様」は、患者さんの死からは超越したところに存在し、上から目線で「死」や「人生」を俯瞰〔ふかん〕し、死についてすべてを知り、時には死を操〔あやつ〕るようなイメージでしょうか。そういう意味で、医師は神様か?と訊いているわけですね。

 確かに、医師以外の職業と比べて、医師は、「人間の死」に接することが多いわけですが、死についてすべてを知っているわけではありません。むしろ、わからないことだらけです。そもそも、医師自身も、死から超越した存在ではなく、いずれは死にゆく普通の人間です。

 死についてわかっていないとしても、医師として、「死に至るまでのプロセス」がある程度見通せるというのは、冨田さんの指摘のとおりかもしれません。でも、冨田さんが思っているほどには見通せていないというのが正直なところです。
 もし、亡くなる日時が正確に予測できて、そこに至るプロセスを正確に予測できるのだとすれば、その情報は患者さん本人に伝えるべき重要な情報かもしれません(冨田さんのように、そんな情報があっても知りたくないという人もいると思いますが)。
 でも、それは医師にも予測しにくいものなのです。諸行無常の世の中、自分自身に明日起こることもわからないのに、患者さんの将来がすべてわかるわけがありません。「運命というのがあって、神様だったらそれを知っているのかもしれませんが、私にはわからないんですよ」なんて言うこともあります。
 「あなたはあと○ヶ月の命です」という言い方をする医師がいるという話は聞いたことがありますし、ドラマでそんな場面を見たこともありますが、私はそんなことを言ったことはありません。だって、そんなことはわからないからです。
 患者さんから、「私の命はあとどれくらいなんでしょう?」と聞かれることは、ときどきあります。患者さんがそういう質問をする背景にある気持ちを汲み取ることが一番大事なのですが、その質問に対して正面から答えるとしたら、「わかりません」というのが最も正確な回答になるかと思います。
 医師としてたくさんの患者さんを看取ってきた経験や、過去の臨床試験のデータなどから、病状によって、残された時間が、「10年単位」なのか、「年単位」なのか、「月単位」なのか、「週単位」なのか、「日単位」なのか、「時間単位」なのか、「分単位」なのか、という予測は、ある程度つきます。
 たとえば、「月単位」と予測するということは、今日と1か月後では病状が明らかに違っていそうで、月を重ねるにつれて、厳しい局面を迎える可能性が高まっていき、1年後を迎えるのは厳しそうだ、といった感覚です。他の、「年単位」や「週単位」や「時間単位」などについても、同様に説明可能です。
 患者さんとの会話の中で、そういった感覚を伝えることはありますが、その場合も、可能性の幅は広めに説明するようにしています。
 可能性の幅を最大限広げて説明するとすれば、「何が起こるかわからないという意味では、今日明日に命を落とす可能性もゼロではないですし、何十年も頑張れる可能性もあります」と言ったりします。「今現在から100年後までのどこかで最期を迎えますよ」ということなので、これは、「わからない」と言っているのとほぼ同義なのですが、あえてこういう言い方をしたあとで、次のように続けます。
 「(近いうちに最期を迎えるかもしれないという)悪い方の可能性も頭の片隅に入れて、準備すべきことは準備しておき、その上で、(天寿をまっとうできるかもしれないという)いい方の可能性に期待して生きていくのがいいかもしれません」。
 英語では、「Hope for the best and prepare for the worst.(最善を望み、最悪に備える。)」という慣用句もあるそうです。こうやって、二つの側面を想像することで、わからないなりに、現実をバランスよく見つめられるのではないかという気がします。
 いい方の可能性だけを伝えて、「きっと大丈夫だから、何も心配せず、頑張りましょう」なんて言うのは現実から目をそらすことになり、これから直面する現実が、より重いものになってしまいます。
 逆に、悪い方の可能性だけを伝えて、「あなたに残された時間はわずかですので、その現実を受け止め、準備をしてください」なんて言うのは、救いがなく、絶望的に響きます。
 冨田さんは、「患者には、余命宣告を聞かない権利だってあります。余命宣告を聞いた私は、泣いて怒りました。しかし、あれから5年、もうとっくにその年数(余命)は過ぎました」と書いていますね。「余命宣告」をしたのは私ではないはずですが、実際に、そういう言い方をする医師がいるんですね。
 余命宣告をする医師は、いい方の可能性と悪い方の可能性の幅をイメージできていないのか、あえてその幅を考えない方がよいと思っているのか、あるいは、本当に余命を予測できている「神」なのかもしれません。
 でも、やっぱり、それを聞く患者さんは、「絶望」としてその宣告を受け止めているわけですね。医師の方も、どちらかと言うと、実際より短めの「余命」を宣告することが多いようで、「悪い方の可能性」を一方的に伝えることを意図しているのかもしれません。
 いずれにしても、余命宣告は正確ではないし、誤ったイメージを伝えるだけになりかねないので、私は、しない方がよいと思っています。というか、私にはできません。

 私は、厳しい経過をたどる可能性について説明した上で、「でも、」と続けて、「希望」の話をします。「現実」と「希望」のギャップは、本書でも繰り返し議論になるところですが、どんなに厳しい現実に直面していようと、「希望」は必ずあると思っています。
 「厳しい局面を迎える可能性もありますので、やりたいこと、準備すべきことがあれば、早目にしておいてくださいね。行きたいところがあれば、『最後の旅行』だと思って、行ってみるといいかもしれません」なんて言うこともあります。「最後の旅行」なんて言い方、禁句ですよね。患者さんの顔も曇ります。でも、このあとすぐ、こう続けます。「『最後の旅行』だと言って何十回も旅行に出かけている患者さんもいるんです。毎回楽しそうにその話を聞かせてくれますよ。〇〇さんも、『最後の旅行』を何度も楽しんでみたらどうですか」。
 厳しめの話をしたあとには、少しでも希望につながる話をするように心がけています。ただ、中には、厳しめの話を聞いたところで頭が真っ白になってしまって……なんていう患者さんもいるので、患者さんの受け止め方や、表情の変化には気を遣います。それと、旅行好きでない人に旅行を勧めるのもヘンなので、患者さんの趣味とか価値観とかの情報は、普段からの雑談できちんと認識しておくことも重要だったりします。(次回に続く)

メモランダム:妻 冨田香保里のこと 第2回
中嶋一

 ちなみに、高野先生と私たちの出会いは奇妙な偶然によるものでした。
 2010年、香保里さんの骨転移が発覚しました。外科的な処置が不可能となり、抗がん剤投与等、今後の治療をどうしたら良いか悩んでいた時、介護サービスの訪問看護師さんから、都内のある病院の緩和ケア科の佐藤医師(仮名)を紹介されました。
 佐藤先生は、複数の治療方針を前に逡巡している香保里さんとの面談時、話をじっと聞いて、丁寧にご自身がよしとする治療方針やその哲学を語ってくださいました。そして、おもむろに、東京共済病院に通院しているのならば、なぜ高野先生のところに行かないの?と訊いてこられたのです。
 冨田さん(中嶋さん)の現在の病状と話を聞いていると、僕より腫瘍内科の高野先生が向いていると思うよ、とおっしゃいました。
 驚きました、7年間東京共済病院に通いながら、腫瘍内科の存在も、高野先生のことも、私たちには初耳だったからです。
 佐藤先生とは、私が二回、香保里さんは一回しかお目にかかっていませんが、この12年間の治療生活の中で最もインパクトのあるご提案でした。香保里さんは佐藤先生と担当看護師のお二人には、最後まで心から感謝していました。
 これが、高野先生と出会うきっかけでした。その時点で、高野先生は虎の門病院へ移られることがきまっていましたが、数回は東京共済病院での診察をお願いしていました。
 虎の門病院では、骨転移を抑えるランマーク投与や疼痛〔とうつう〕緩和のための放射線治療は行いましたが、抗がん剤治療には至りませんでした。
 高野先生は、抗がん剤治療も緩和ケアの一環である、という持論をお持ちでした。さらに、それでも、抗がん剤を投与しないという選択もある、その方がむしろQOLを維持できることもあるとおっしゃいました。
 しかし、香保里さんは、抗がん剤治療に対する不安があったため、転移が広がっているにもかかわらず、治療に迷いが生じ、なかなか決断できずにいました。
 そして、2011年初春、抗がん剤治療に踏み切れず、あの古い病院施設と病院内の雰囲気にもなじめないでいる香保里さんを見かねた高野先生は、新たな作戦に出ました。
 2010年だったでしょうか、頭蓋骨転移発覚後のことですが、高野先生は、サイバーナイフ治療のため紹介を受けて通院したことのある、A病院化学療法科の鈴木医師に抗がん剤治療を促〔うなが〕すよう紹介状を書いてくださったのです。
 鈴木先生は、過去にお会いした医師の中では異色でした。茶髪でオシャレが好きな、都会的な雰囲気をもつ腫瘍内科医でした。
 鈴木先生は、香保里さんと治療方針でもめると、「じゃあ、高野先生に訊いてみたら?」、「高野先生もそう判断するはずだよ」、と言って香保里さんの説得を試みておられました。
 それが功を奏してか、香保里さんは抗がん剤治療に踏み切り、2012年10月には、原発巣〔げんぱつそう〕が皮膚の表面に、花開く状態になっていた、乳房の切除ができるまでになりました。この頃は、要介護2から要支援1にまで回復し、杖を持たずに歩行できるまでになりました。
 そして、あれから4年間A病院と鈴木先生にはお世話になり、週に一回、診ていただいてきたのです。香保里さんにとって、A病院と鈴木先生による治療は、この12年間で最も充実していたと思います。
 抗がん剤副作用に対するウォックナース(皮膚・排泄ケア領域の認定看護師)との連携、事前の対処、疼痛〔とうつう〕緩和に接して、腫瘍内科医の仕事とはこういったものかと感心させられました。
 また、2014年10月頃から腹水が溜まり、肝臓障害が顕著〔けんちょ〕になりはじめた頃、デンバーシャント〔注*〕による腹水コントロールを薦められました。その効果とリスクを患者に理解させるための院内連携〔れんけい〕も敏速で、年明けには、見事に腹水から解放され、大好きなブランドの春物のワンピースを購入するに至りました。しかし、それに袖を通すことなく、2015年3月23日、鈴木先生に看取っていただくことになります。
 この4年間、高野先生とは、2ヶ月に一度ぐらいのペースで、東京共済病院でセカンドオピニオンを受け、治療方針の相談に乗っていただいたり、先生のお考えを伺ったりしてきました。

〔注*〕
 シャントとは「短絡」のことで、腹腔内と静脈を直接つなぐ短絡をつくる治療です。その短絡により腹水を血管内に流入させます。
 内科的な治療で改善しない腹水を、静脈系血管に誘導するためのカテーテルを留置する手術治療です。
 腹水がたまっている腹腔内と、鎖骨下静脈という鎖骨付近の静脈をカテーテルでつなぎます。通常は局所麻酔で行い皮膚の下にチューブ(カテーテル)の通り道をつくり、一体型のカテーテルを留置します。
 QOLの向上が期待でき、腹部膨満の改善、体重の減少、呼吸困難や体動制限の改善などがあげられます。
(「東邦大学医療センター 大橋病院 消化器内科」のウェブサイト中の解説「腹腔・静脈シャント増設術」より引用。図版は省略しました。以下のURLです。編集部)
http://www.lab.toho-u.ac.jp/med/ohashi/gastroenterology/patient/medical_inspection/shunt.html

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