INTERVIEW FILE 005 竹中夏海 (振付師)
PASSPO☆の黄緑担当・さこてぃこと槙田紗子さんによる「マキタジャーナル」第5弾!取材や文章を書くことに興味のある彼女が、様々なジャンルの一線で活躍する方々にインタビューし、インタビュー力を鍛える企画です!今回のご登場は、PASSPO☆他様々なアイドルの振付を担当し、アイドルダンス業界を牽引する竹中夏海さん!
槙田 「なるほど。そういえば、セーラームーンミュージカルの振り付けを担当したんですよね。先生自身も出演していたミュージカルの振り付けができるって感慨深いですよね。」
竹中 「そうそう。19年ぶりだからねぇ。セーラームーンミュージカル自体1993年くらいに始まって、セーラームーン役の人が4代いて私は初代の人のときにちびうさ役をやっていたんだけど、その初代の人がやってた5年くらいの間の演出の人たちが去年の秋に6〜7年ぶりに復活したの。で、その演出家の方が私が振付師をやっていることを知ってお願いしてくれたの。」
槙田 「それめっちゃ嬉しいですよね。」
竹中 「本当に11年ぶりに会って。」
槙田 「でも先生子供のときから顔全然変わってないでしょ?(笑)」
竹中 「そう。でも、変わってないけど街ですれ違ったら分からないって言われた。」
槙田 「そもそもなぜ子役をやっていたんですか?」
竹中 「習い事の延長で児童劇団に入ってた。ジャズダンスとか発声練習とか挨拶とか総合的に教えてくれるから、親は礼儀の部分とかを学んでほしかったのかも。バレエ、プール、英会話、児童劇団って感じでただの習い事だったし、オーディションは立候補制だったから2年くらい在籍してたけどほとんど仕事はしてなくて、たまたま初めて立候補して受けたオーディションがセーラームーンミュージカルだったの。人生で一番しんどかった。」
槙田 「そうだったんですか?」
竹中 「小学校4年生の終わりにオーディション受けて、でも5年生から青森に引っ越す予定だったの。まぁ受かるわけないと思ってたし。親は仕事があるから先に青森に行って私だけ東京のおばあちゃんちに居候して学校も埼玉から東京の小学校に転校して、初めての芸能界な上に学校も学級崩壊してるようなとこだったらからものすごいいじめられて。」
槙田 「運悪くないですか!?」
竹中 「そう!!運悪い!!(笑)それであぁもうやだ。ってなって、でも周りからは自分で選んだ道でしょってたしなめられて、そうはいってもオーディションなんて流れで受けたしとか思ってて。だから私むっしゅ(元ぱすぽ☆メンバー)の気持ちとかすごく分かるんだよね。世間はみんな自分で選んだ道でしょとか言うけど、10代の間でなんとなく過ごしてて環境ガラッと変わったけど知らんし!みたいな(笑)。そんなみんながみんな強い意志もって動いてる訳じゃないんだから、アイドルやってる子たちから卒業したい子がでてきて当たり前だなって。」
槙田 「たしかにそうですよね。振り付けにはいつ頃から興味があったんですか?」
竹中 「セーラームーンミュージカルやってたころから即興で踊るのは好きで、中1のときには自分が作ったのを踊るより見たいって方が強くて。」
槙田 「でも誰に踊ってもらってたんですか?」
竹中 「親戚とか(笑)毎年親戚20人くらいで草津の温泉に旅行に行ってて、ご飯食べる大広間のステージがもったいなくてしょうがないなってずっと思ってて、発表会しよう!って思ったの。それで年下の親戚の子たちを旅行前から何回か家に呼んで振り付け教えて(笑)。」
槙田 「え!!!その子たちどんな気持ちだったんですかね!(笑)」