INTERVIEW FILE 018 マキタスポーツ (ミュージシャン・俳優)
先日PASSPO☆を卒業したばかり、槙田紗子さんによるインタビュー連載「マキタジャーナル」をお送りします。取材や文章を書くことに興味のある彼女が、様々なジャンルの一線で活躍する方々にインタビューし、インタビュー力を鍛える企画です。今回は、現在、メジャーとマイナーの合間を縦横無尽に活躍中のマキタスポーツさんに、槙田さんがお話を伺いました。これまで、2人に面識はありません。Wマキタのスペシャル対談、緊張しつつスタートです。
槙田 「今日はお会いできて本当に嬉しいです。」
マキタ 「僕も嬉しいです。なかなか槙田さんに会えないですからね。」
槙田 「槙田で検索するとマキタスポーツさんの本名と私の名前が出てくるので、マキタスポーツさんに次ぐ日本を代表する槙田になりたいです(笑)。」
マキタ 「2人で頑張っていきましょうよ。1人よりも2人の方がいいですよ。(VVマガジンを見ながら)この記事見るとドキッとするなぁ。マキタジャーナルって僕のコーナーでもおかしくないでしょ。でも僕は本名の漢字を前に出してなくて、“槙田”っていう漢字が載っているを見ると剥き出しの僕みたいな感じがして恥ずかしいね。」
槙田 「あはは(笑)。インタビュー術はまだまだですが、純粋に聞きたいと思ったことを聞いていきたいと思います!」
マキタ 「よろしくお願いします。」
槙田 「マキタさんの幼少時代って想像がつかないのですが、子供の時はどんなお子さんだったんですか?」
マキタ 「僕は今だったら病名が付くような子供だったと思います。物事がよく分からないまま過ごしていて、エネルギーだけ有り余っていて、人に嫌われているなぁっていうことくらいは分かるけどそれ以外は分からなかった。」
槙田 「人に嫌われているなぁっていうのは分かったんですか?」
マキタ 「うん。だって僕が何か行動するとみんなひくから。女の子が泣いてたり、男の子が血を流して倒れてたり、窓ガラスが割れていたり。」
槙田 「暴れる系ですか?」
マキタ 「うーん。良かれと思ってやっていたんだよね。スネてやつあたりとかじゃなくて、単純にバカなんだよね。そのせいでおふくろは常に学校に呼ばれて先生に叱られて、それをおふくろに叱られて、そんな感じの子だったなぁ。」
槙田 「当時の将来の夢は何だったのですか?」
マキタ 「小学校の頃は、“お笑い芸人になってバカなことをする”って文集に書いていたみたい。」
槙田 「その後は変わったんですか?」
マキタ 「中学生になってからは、ミュージシャンになりたいって言ってた。」
槙田 「全部叶えていらっしゃいますね。」
マキタ 「そうだね。ありがたいことに。」
槙田 「最初は芸人さんとして活動を始めていますが、なぜ初めに芸人を選んだのですか?」
マキタ 「最初はバンドでデビューしたかったけど、デビュー直前までやっていたバンドが、僕がやりたいことを説明してもなかなか分かってもらえなくて。『笑いもあって音楽もある総合的な音楽のエンターテイメントをやりたい!』って言っても、『コミックバンドみたいなこと?だったら俺できないよ。』って言われたり。コミックバンドでもないんだけどね。『漫才も好きだったから漫才もやりたいんだよ。』って言ったら、『わけわかんねーなお前は!』って言われて。結局バンドが空中分解して、気がついたら27歳だったんです。何とかしなくちゃいけないと思っていたときに、浅草キッドのライブのオーディションがあって、条件の敷居も低くて浅草キッドも好きだったから一人で受けに行ったんです。ピン芸人を目指していたわけではなくて、お笑いをやるにせよ漫才をやろうと思っていたし。だから最初すごく苦労しました。ネタ作りの仕方も分からなくて。」
槙田 「最初から歌ネタだったんですか?」
マキタ 「最初は、音楽は音楽、笑いは笑いって考えていたから、歌ネタに抵抗があったんです。モノマネやスケッチブックネタをやったりして、試行錯誤しているうちにギター弾けるしギターで何かやってみようと思って、やったらすごくウケたんだよね。デビューして1年経たないうちに単独ライブの話があって、ネタをたくさん作らなきゃいけなくなったときに、得意な分野も出していこうと思って、ギターを持って歌ネタをやったらやっぱりウケたんだよね。ウケたけど、これを本芸にするのはやっぱり違うなって思って、しばらくまたやらなかった。」
槙田 「へぇ!」
マキタ 「ありがたいことに、28歳でデビューして、29歳の時にレギュラーが3本あったんです。ピン芸人になるつもりで始めたわけじゃないのに、ちょろいなーなんて思っていたんだけど、その1年後にレギュラーが1本に減って。その原因も、ウケないからってネチネチいじってきたプロデューサーに逆ギレしたから、とかね(笑)。昔はとがってたんですよ。そんな状況になったとき、やっぱり自分の原点は音楽だ!と思ってバンドを結成したんです。そのときは事務所にも入っていないフリーだったから、ずっとやりたかった笑いもある音楽エンターテイメントバンドをやろうと思って、ぼちぼちとやってきました。そのショーケースの中に、僕がやっている音楽ネタも入っていたんだよね。それを、後々ピン芸でできる範囲にカスタマイズして、テレビ番組でやったんです。それも、バンドを売るためにやっていたことで、僕のやっている音楽ショーを知ってもらいたいからそういう形にしてやってた。」
槙田 「なかなか上京できない上京物語大好きです。」
マキタ 「あぁ!あれもずっとライブでやってたやつ。鉄板ネタ。」