スペシャル
「お気持ち」によって直結する天皇と国民
現行天皇が二〇一六年八月八日、生前退位について「お気持ち」を表明したことと、そしてそれに対する「国民」の反応は図らずも本書『感情化する社会』の主題である「感情」という問題を明確化してくれる出来事だった。つまり「感情化」と本書が便宜上呼ぶ事態が天皇制に及んだのである。
しかしそれは天皇が感情的にふるまった、ということを意味しない。本稿のなかでいずれ明らかになるが、「感情化」とはあらゆる人々の自己表出が「感情」という形で外化することを互いに欲求しあう関係のことを意味する。理性や合理でなく、感情の交換が社会を動かす唯一のエンジンとなり、何よりも人は「感情」以外のコミュニケーションを忌避(きひ)する。つまり「感情」しか通じない関係性からなる制度を「感情化」と形容するものだ。この現象は、ただ感情的でしかないこの国の首相や彼に対するこの国の人々の、ぼくには不可解な「共感」にも見てとれる。だとすれば、ここで何より問題にしなくてはならないのは、なぜ、今回の天皇の意思表示が従来の天皇の公的発言で用いられてきた「おことば」でなく、「お気持ち」という呼称で表明されたのか、という点にある。そもそも、宮内庁のHPなどでは、今回の「お気持ち」の全文掲載に当たっては慣例にしたがって「おことば」と表現されているが、リーク報道では最初から「お気持ち」の表明として演出されたことは新聞報道がwebで検索可能な時代だから各自が確認すればいい。
そして次に注意すべきは、その「お気持ち」に対する「国民」の圧倒的な「共感」である。例えば八月一一日に読売新聞がおこなった世論調査では九三パーセントの人が「良かった」と解答している。そもそも「お気持ち」表明に先立って生前退位の意向がNHKによってリークされた直後の八月四日の共同通信の世論調査では八五パーセントが「容認」と報じられているが、それは天皇の意向が近日中に「お気持ち」という形式で表明されることがリーク後の早い段階で憶測記事の形で報じられていたことと、やはり関わりあう問題である。今回の天皇発言は「お気持ち」としての形式をまとい、結果、天皇の感情の表出として受け止められた。そして、天皇と国民が感情によって直結してしまったことに対して政治の側はいささか困惑しているように思えもする。事実、野党はこのような「お気持ち」と「国民」の「共感」に対して異議を唱ええず、当初は慎重であった与党も生前退位に向けた法整備を検討せざるをえなくなった。産経新聞は「お気持ち」表明直後に「「生前退位」可能となるよう改憲「よいと思う」八割超、FNN世論調査」という見出しでこれを報じ、天皇の「お気持ち」を可能にするために憲法改定が必要だ、という世論づくりを試みているのがかえって目につく程だ。
退位を可能にするスキームが今回に限った時限立法の制定にとどまるのか、皇室典範、そして憲法改定まで進むのかは現時点では不明だが、天皇の「お気持ち」を周囲の人々が忖度(そんたく)し、更にそれを公表し、政治が現実に動いてしまうことは、戦前・戦時下における天皇の政治利用の典型的な手法と一見、よく似ている。忖度、というのは言外の意味を受け手が恣意的に解釈し、天皇の意向を威として行動することだが、かつての天皇の悪しき政治利用においては「忖度」がそのときの政治権力に利用された。しかし今回は「お気持ち」が天皇によって示され、ときの権力ではなく、国民がいっせいに忖度し、それによって政治が動かされる、という事態が起きている。その点で特異である。
言うまでもなく、天皇の「お気持ち」が、この先、憲法を含む法制度を動かした時点で、それは憲法が禁じた天皇の政治への介入となる。この前例を許してしまうと、天皇の「お気持ち」がほかの領域でも政治を動かす前例になる。ぼくはその一点で、天皇の今回の行為は肯定できない。安倍政権の憲法解釈の恣意的な変更以降、私たちは憲法が国家や「公(おおやけ)」を縛る規範であることに鈍感になっている。「公」にあるものは、自らが恣意的な憲法解釈をすべきではなく、その意味で天皇もまた憲法に縛られる公的存在であることは忘れるべきではない。憲法に規定される以上、天皇も憲法を超越すべきでない。
このようなぼくの基本的立場をまず明示した上で、産経新聞のあからさまな改憲誘導とは別に、憲法改定で天皇の「君主」化を目指していたはずの安倍政権や、それを支援する日本会議など、右派の人々の困惑に注意したい。論壇なるものを遠く離れて長いぼくは、政治の内情についていまや何も知りうる立場にないから、生前退位の意向のニュースを聞いて、当初は、安倍政権はそこまでするのか、とまず思った。つまり、これまでの発言を振り返ったとき、護憲的な立場を表明してきた現天皇や、右派のメディアであからさまに批判されている皇太子から、その次、更に次へと皇位の移行をスムーズにするために、政権与党に忠実なNHKを使って右派が露骨な世論操作を始めたのだ、と思った。だが、どうやらそうではないことは、政府などの対応からうかがえる。
そもそも右派が目論んできたのは強い天皇の権威を自らが利用することで、「忖度」とはときの政治権力がそれを行使することにこそ都合のいい意味がある。ところが、今回、天皇は権力に「お気持ち」を忖度させなかったのである。現行天皇は政治権力を抜きにして天皇の「お気持ち」を国民が直接「忖度」する関係をまずつくってしまった。
このように天皇の「お気持ち」が国民全体にシンクロニシティを呼び起こすあり方に対して、それをどう評価すべきなのか。
〈プロフィール〉
- 大塚英志
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大塚英志(おおつかえいじ)1958年生まれ。まんが原作者、批評家。本書『感情化する社会』に関わるまんが原作としては、山口二矢、三島由紀夫、大江健三郎らをモチーフとした偽史的作品『クウデタア2』、本書に関連する批評として、『物語消費論』 『サブカルチャー文学論』『少女たちの「かわいい」天皇』 『キャラクター小説の作り方』 『更新期の文学』 『公民の民俗学』 などがある。