震災から数年経った東北の地。余震がしだいに強まり、住民たちに異変が生じていく……。いがらしみきおの最高傑作。

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本書へのコメント

  • 人間やめますか? それとも生き物やめますか? 生存本能を揺さぶる物語。大震災から4年、見えないところから壊れ始めているこの世界。気付かずに暮らすあなたが正気なのか。逃げ出そうとあがく彼らこそが正気なのか。いがらしみきおが、あなたの理性と感性と、そして何より生存本能を揺さぶる。/藻谷浩介(『里山資本主義』『デフレの正体』)
  • 不安と不安と不安と、そしてその先の針のような希望と。リアルってこういうことをいうんだと思う。/しりあがり寿(漫画家)
  • 「なぜ、逃げないんだ」――あの日から、よく耳にした言葉だ。「なぜ、逃げたんだ」――しばらくしてから、よく耳にした言葉だ。「どうしたらいいんだ」――今、よく耳にする言葉だ。言葉を傾向と対策で処理してしまう私たちは、まだまだ言葉を無視し続けている。/武田砂鉄(ライター)
  • いま生きているあたりまえの感覚がグラリグラリと動揺しています。この本は、ひとつの装置なのでしょうか。感動するにしても、もっと穏便に済ませたかったです。/村井光男(ナナロク社)
  • 「自分」でありつづけるために「言葉」があるのか、「言葉」があるから「自分」の形を保てるのか。なにかのひょうしにそのバランスが崩れ、自分が自分でなくなることがフィクションでもなんでもなく、すぐ横にいつもあることに気付かされて吐きそうになった。あれからずっと足下がおぼつかない。/池本美和(オリオン書房ノルテ店)
  • 日本人は震災以降、大きな不安を抱えている。空気を読む日本人は、その不安の言葉を、世間体、風評被害などと、不安感を煽る事として無意識のうちに封印してしまっているのだと思う。そんな不安を抑圧した状態で生きる日本人が、本来持つ本能に支配されてしまう。そんな物語に思えました。/石田充(書楽阿佐ヶ谷店コミック担当)
  • 無意識に体が動くときや、頭ではこうしたほうがいいと思っているのに違うことをしてしまうとき、それが頭で考える「自分」ではない、本当の「自分」だと思います。もはや意識すらない原子レベルの本当の「自分」。その「自分」が本能的に移動するほどの出来事=震災。しかし本当に恐いのは、「自分」を捨てて本能のままに生きるなんて実際には到底できないということ。それはつまり、この場所で生きていくしかないということ。被災地の方の苦悩を4年経ったいま考えさせられると同時に、人間の力強さを感じました。/久保春花(紀伊國屋書店グランフロント大阪店)
  • 震災を経験した町。言葉を失う人々。異質な日常を通して浮かび上がる「私」という存在への疑問。『I』から続くいがらし先生の壮大なテーマは、この作品でひとつの解答を見たのだと思います。/田中忍(喜久屋書店仙台店店長)
  • ああ、と思う。作中の「すごく小さく、すごく速く」「揺れている」を私もあの時以来感じていたのだと。その意味で私たちは本書『誰でもないところからの眺め』の世界と、「現実」とのあわいに生きている。今、目を通して圧倒的な何かが頭の中に入りこんでくる!/二階堂健二(あゆみBooks 仙台青葉通り店店長)
  • 言葉では言い表せない何か……。心が重い。/福丸泰幸(喜久屋書店漫画館京都店店長)
  • 難しいテーマで、読み終わったあと、深いため息をつきました。ここではないどこかに自分の求めるものがあるのか、人が人として生きるのに何が必要なのか、私が私という存在であるのはなぜなのか。考えることをやめるのは簡単かもしれません。でも、それではいけないとこの作品に言われているような感じがしました。人にとっての永遠のテーマがここに描かれています。私はそれを大切にしたい。/八重田幸子(丸善丸の内本店コミック担当)

いがらしみきお
特別インタビュー

いがらしみきお
いがらしみきお
1955年生まれ。宮城県出身。漫画家。
主な作品に『I』『羊の木』『ぼのぼの』など多数。

その日、いがらしみきおの住む仙台市は雨だった。
最新刊『誰でもないところからの眺め』の中の、
〝宮城県のとある場所〟では
トンデモないことが次々と起こっていたが、
だらだらと降る雨以外、
現実の世界はいたって静かな昼下がりであった。

が、待て! 

表面上はそうだが、いがらしみきおは
既に感知しているのかもしれないぞ。
そこかしこで息づいている兆しを。
われわれには見えない何かを。
この、思索することをやめない漫画家の
脳内には今、何が映っているのか?

轟 夕起夫 = 文
text by Yukio Todoroki

志鎌康平 = 撮影
photo by Kohei Shikama

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