一人でやりゃあ十万年
蓮ね。嫌いじゃないけど、それほど好きでもない。わたしは、やらなきゃならないことはやらないわけだ。やらなくてもいいことしかやらないと、かなり若いときに決めているから。だからこの世から蓮がなくなったって、わたし自身はそんなに悲しくないだろうと思う(笑)。興味をもったのは昭和三五年ぐらいから……いま、昭和でいうと何年なんだ? 昭和八四年? だからね、五十年ぐらいですかね。
大学のころには、まだ「時間」のことをやろうと思っていたんです。それに必要な文献を三百冊に、論文を三百ぐらい集めて、それを読んだ上でこっちの考えを立てていこうと思ったんだけど……
澁澤龍子、坪内祐三、礒崎純一、巖谷國士諸氏が語る
“怪人”松山俊太郎
「ウォーン」
と犬の遠吠え。だんだん近づいてくる。
「あっ、松山さんだ!」
「こんばんは、イヌです」
とニタッと笑って、着物姿の松山さんが玄関に入っていらっしゃると、
まだ準備中ですがこのままお正月に突入です。
澁澤龍子「さようなら、松山俊太郎さん」
マジで私は松山さんが百歳になっても元気で酒を飲んでいるだろうと思っていた。
松山さんが百歳の時、私は七十二歳。
一緒に酒を共にしたかった。
坪内祐三「松山俊太郎さんと私の少しの縁」
「松山大人の文章を纏めた一冊を作ろうぜ!」
と大盛り上がりに盛り上がり、
それがきっかけで生れたのが『綺想礼讃』という本なのである。(…)
ソクラテス、孔子、キリストとともに、
決して本をつくらない哲人
として、松山さんの存在はわれわれ編集者の間では伝説化されていた。
礒崎純一(国書刊行会)「綺想礼讃秘話」
松山さんが
百万年かかるといっていた「蓮の研究」
は、ある種の連続性の体現・実践でもあったのだろう。
蕾も生まれていることだし、
松山さんにとって松山さん自身の死は
何ほどのことでもない。
巖谷國士「白蓮図」