『松山俊太郎 蓮の宇宙』解説
安藤礼二

※『松山俊太郎 蓮の宇宙』「解説」より一部抜粋しました。

 演劇や舞踏などにおける身体芸術の革新、詩や小説などにおける言語芸術の革新が、社会的かつ政治的な革新とともに推し進められていくことが希求された一九六〇年代、松山俊太郎は、土方巽や唐十郎、澁澤龍彦やや種村季弘、さらには三島由紀夫などとの神話的な交遊を通して、その活発な運動の渦の一つの中心にいた。想像力の変革が現実の変革に通じ、既成の表現の秩序を覆していくことと既成の制度の秩序を覆していくことは等しかった。

 一六歳の時、自宅の部屋で手製の手榴弾を分解中に暴発、左手の手首から先、右手は親指を失い、人差し指と中指が変形してしまった松山は、その存在自体がすでに過激でアナーキーだった。ある種の過剰な暴力性と、それと表裏一体をなす限りのない優しさを矛盾することなく同居させる稀有な存在でもあった。松山と一度でも親しく触れ合う機会をもった者であれば誰もが、その出会いの僥倖を懐かしく回想する、そのような人物であった。その松山は、生涯、「梵文学者」を名乗った。

 インドの「文学」は古代から現代まで連続し、そこにさまざまな要素を外部から取り込み、一つに融け合わせ、複雑かつ重層的に発展してきた。インドの表現において、文学と思想、文学と宗教を分けることはできなかった。さまざまな感覚を一つに総合する詩的表現が、華麗で壮大な宇宙論と直結していた。インドは「豊饒」である。しかしその真の姿は誰にとっても摑みがたく、インドはまた「幻」でもある。松山は繰り返し、そう記していた(富永仲基の所見にもとづく)。豊饒であるが「幻」としてしか存在し得ないもの、それは松山のインド研究そのものでもあった。

 松山俊太郎は、生前、自らの名を冠した四冊の書物を公にした(編著、共著、翻訳を除く)。『インドを語る』(白順社、一九八八年)、『インドのエロス 詩の語る愛欲の世界』(同、一九九二年)、『蓮と法華経 その精神と形成史を語る』(第三文明社、二〇〇〇年)、そして『綺想礼讃』(国書刊行会、二〇一〇年)である。前三書は「インド」を論じ、後一書は松山が偏愛する日本の作家たちの「文学」を論じている。その他にも、優に書物一冊分を超える三つの連載が、現在でもそれぞれの雑誌に掲載されたまま打ち捨てられている。順に、雑誌「第三文明」の〈一九七五年一月号〉から〈一九七六年一〇月号〉にかけて連載された「法華経と蓮」、雑誌「化粧文化」第三号から第二七号にかけて一三年間にわたって連載された「古代インド人のよそおい」、そして雑誌「第三文明」の一九八八年四月号から一九九〇年一二月号にかけて連載された「東洋人の愛」である。

 松山俊太郎の「文学」論は、生前、『綺想礼讃』という一冊の書物に奇蹟的にまとめられたが、「インド」論は、松山による語りを活字化した三冊の書物と、書物化されていない三つの連載、そしてその他無数の雑誌掲載論文に分散され、その豊饒さを示しながらいまだ「幻」のままあり続けている。しかしながら、松山の「インド」論は、明らかに、その全体を貫徹する二つの大きな柱をもち、首尾一貫したものだった。柱の一つは、単行本『インドのエロス』の主題であった「詩と性愛」という問題であり、柱のもう一つは、単行本『蓮と法華経』の主題であった法華経に体現された「蓮の神話学」という問題である。単行本『インドを語る』は、一方ではインドにおける「詩と性愛」を成り立たせる基盤である多様性と複合性をもったインド文化の本質が論じられ、もう一方では「蓮の神話学」を法華経とともに成り立たせている華厳経の核心である「華厳荘厳世界海」が論じられていた。

 三つの連載も、松山インド論を成り立たせている二つの柱のいずれかに関わる。インドにおける「詩と性愛」を論じる際には、詩に描き出された「装い」(体臭までをも含む広義の化粧)を全体的に検討する必要があり、さらにはアジアにおける「愛」という概念の比較を行う必要がある。前者が連載「古代インドのよそおい」となり、後者が連載「東洋人の愛」となった。インドにおける「蓮の神話学」を最も壮麗なかたちで描き出したのが法華経である。連載「法華経と蓮」は、法華経に秘められた「蓮の神話学」をはじめて全面的に論じた試みであり、その成果を踏まえた上で、松山による法華経研究の最新の展望が語られたのが単行本『蓮と法華経』であった。

 インドにおける「蓮の神話学」の構造を真に理解するためには、法華経と華厳経に代表される大乗仏教の経典を読み込むだけでは充分ではない。なぜなら――「インド文化は、まず仏教という形で日本にきているわけですが、仏教というのは、ヒンドゥー教徒がヒンドゥー教の一派だと言うくらい、ヒンドゥーイズムの中から出てきたもので、その基礎にある根本のものは、仏教固有のものではなく、インド全体に根を下ろして吸い上げているものです。だから、このあたりをほんとうに理解するためには、〈インド学〉はやっぱり重要なんですね」(『インドを語る』より)。法華経と華厳経を二つの頂点とする「蓮の神話学」のもつ真の射程を知るためには、大乗仏教以前から大乗仏教以降までをも見通す「古代インド人の宇宙像」の全体を理解することが必要不可欠なのである。それが松山俊太郎の〈インド学〉を形づくっている。

 もちろん、松山が生涯の研究課題とした、インドにおける「詩と性愛」と「蓮の神話学」という二つのテーマは、まったく無関係ではない。否、むしろ相互に密接な関係をもっている。松山がまず取り組んだのが「詩と性愛」の問題である。松山の学士論文は「バルトリハリ作、シュリンガーラ・シャタカ〈恋愛百頌〉について」であった。それが、「古代インド人の宇宙像」が一つの焦点を結ぶ終末論を主題とした修士論文「古代インドの回帰的終末観」を経ることで、「蓮」をめぐる神話学的な探究としてより深まっていった。インド人たちは「性愛」を謳うためにも、「宇宙」を謳うためにも、「蓮」を重要な象徴として用いていた。「蓮」を媒介として、古代インド人の性愛をめぐる詩と、古代インド人の世界の消滅と再生をめぐる宇宙論が一つに結び合わされていたのだ。

 松山俊太郎が構想していた〈インド学〉の全貌を知るためには、「詩と性愛」と「蓮の神話学」という二つの観点のどちらをも必要とする。単行本としてまとめられた三冊の書物はいずれも語りを活字として起こしたものであるが故、平易ではあるがやや焦点がぼやけ、三つの雑誌連載はいずれも長期にわたったが故、典拠の提示と論旨の展開が錯綜をきわめてしまっている。さまざまな機会に、さまざまな媒体に発表された諸論考を、松山インド学を成り立たせている二つの柱に集約するような形で、松山文学論の決定版である『綺想礼讃』と双璧をなすような松山インド論の決定版を一冊の書物としてまとめること。それが、本書『松山俊太郎 蓮の宇宙』を編集するにあたって、最もはじめに意図されたものである。

 本書『松山俊太郎 蓮の宇宙』は、まず「松山俊太郎」という特権的な固有名を冠し、第一章を「インドの詩と性愛」としてその主題に関連する諸論考をまとめ、第二章を「蓮の神話学」としてその主題に関連する諸論考をまとめた。第三章には、これまで初出誌でしか読めなかった、「詩と性愛」と「蓮の神話学」をめぐる貴重な講演、インタビュー、対談、座談を収録し「幻のインド」と題した。インドの詩と神話を「蓮」が一つに結び合わせ、そこに未聞の表現宇宙が拓かれているという意味で、本書全体をあらわすタイトルとして『蓮の宇宙』を採用した。松山文学論の集大成である『綺想礼讃』と対になる、松山インド論の集大成の実現を目指した。

 本書が一つの核となって、松山インド学の全体――既刊の三冊の単行本と未完の三つの雑誌連載、さらには本書には収録できなかった諸論考――に有機的な関係性が生起することを願っている。

安藤礼二(『松山俊太郎 蓮の宇宙』「解説」より抜粋)