ドライブデート対談
「恋なんて、いつか冷めるとわかっているけど」
曽我部恵一 × 岡藤真依
曽我部さんの愛車でお出迎え。本当にデートっぽくなってきて、岡藤さんは緊張して固まっていました。
2019.4
撮影:吉松伸太郎
撮影協力:Gelateria SINCERITA
テキスト・取材:野口理恵
3月の昼下がり。お互いがファン同士のふたりが初対面。外は快晴。せっかくのいい天気なので、窓も全開でドライブデートを敢行。美味しいジェラートを食べながら、恋愛と作品づくりについてお話を伺いました。
いざ、ドライブデート!
曽我部恵一(以下、S) では出発しましょうか。
岡藤真依(以下、O) 曽我部さんは、『どうにかなりそう』もお読みいただいたみたいで、ありがとうございます!
S 普通に本屋さんで買いました。でもその前から岡藤さんのことを知っていて。時期は少し曖昧なんだけど、京都のシンガーソングライターの松野泉さんのアルバムが好きなんです。そのジャケットを岡藤さんが描いているんですよね。
O 松野さんのアルバム『星屑の国』ですね。松野さんは映画も撮っているのですが、私が20代前半のころ、スタッフとしてお手伝いに行ったことがあり、それ以来の知り合いなんです。
S あのアルバム、本当に愛聴盤で。歌、いいよね、嫉妬するくらいいい。たぶんそれで岡藤さんのイラストを知ったんじゃないなと。
O ありがとうございます!
S 僕は岡藤さんの絵が好きで。あまり言葉で言ってしまうと、つまらなくなるかもしれないけれど、普段感じてることを描いているんだなと。『少女のスカートはよくゆれる』は、前作よりもさらに一歩踏み込んだ感じがありました。表現の仕方が具体的でしっかりしたように思います。
O そうですね。意識して描いたところはあります。『どうにかなりそう』は心の内の話だったけれど、『少女のスカートはよくゆれる』は、社会、とまでは言わないですけど、自分を取り巻くものと自分、みたいなところをテーマとして描いています。
S 女性としての生きづらさみたいなことがテーマなんですよね。読者に対して広がりがあるかなと、そんな気がしました。
O ありがとうございます。
恋の先に進むこと
O 曽我部さんの詩の世界って、どんな状況なんだろうとよく想像するんです。それで“断定しない”世界なのかなと思っていて。このカップルは付き合っているのか付き合っていないのか、から始まって、その時々の自分の心境によって変わる万華鏡みたいな世界だなと思っています。
S 僕は付き合っている、付き合っていないは置いておいて、安定した関係性の中で描くところがあるかな。音楽だし、あんまりギスギスした緊張感ばかりだと聴いていて辛くて気持ちよくないかもしれないから。だから関係性自体を問うとことはないですかね。
O そうなんですね。私、中学3年のときに『東京』が神戸のヴァージンレコードでPVと一緒にガンガン流れていて「えー、これ何ー!」と思ってCDを買ったんです。当時女子校だったので恋愛を全くしたことがなかったのですが、『恋におちたら』を聴いたときに「これどういうことなんだろう」と、ずっと考えていたんですよね。不倫なのかな、とか。生々しいことを想像していました。
S あのころは恋愛に対して恐れもないからああいうこと書いていましたが、いまはリアリティをもって身に染みて分かっているのでわざわざあんなことは書かないですね(笑)。20代前半くらいだったんじゃないかな。
O 最近、感じたのは、あれはプラトニックな関係の男女なんだなって。
S そういうのが好きです。僕、よく覚えてる恋愛があるんです。すごく素敵な可愛い子がいたんですよ。それでお互い恋人もいなかったのでなんとなく付き合いだしたのね。その子はスタイルも顔もよくて信じられないくらい可愛くて、その子が現れて一瞬、下北がパニックになったくらい。で、ある夏のことなんだけど、僕は夏の暑いときに外でデートして、公園で座ってコーラを飲んだりとか、そんなことで満足していて、その先に踏み込めなかったんです。セックスをしたり、もっと密な関係になれなかった。僕はその子の横で、暑い日にTシャツとジーンズで公園のベンチで笑っている絵だけで良かった気がして。エッチなことをしたいとか、欲求は持ってはいるけど、彼女とはそこに結びつかなかった。彼女とは結局、なんとなくそのまま離れてしまいました。
O その瞬間の最高値をとどめておきたかったのでしょうか。
S そこが全てというか。その人とどこかに座ってジュースを飲んだりコーヒーを飲んだりして「好きだな、この人、綺麗だな」と思うことが“完全”なんです。でも付き合うってそういうことではないですよね。もっと先に色々ある。だから難しい。どこかでそういうプラトニックを求めてるのかなあ。
O それが曲に反映されているんですね。私は逆ですね。恋人には自分の汚いドロドロしたところを見て欲しいというか、認めて欲しいというところがあります。相手のそういうところも受け止めて、わりとズブズブした関係になってこそ、みたいなところがある。で、結局、重みがどんどん増してしんどくなっちゃう。自分自身がアンコントロール状態というか、生身の感情をぶつけてしまうところがあるかも。
S 僕はそういう関係になったことはないな。でもそれが理想なんだと思いますよ。でも難しいですよね。結局自分の内面を支えてもらいたかったり癒してもらいたかったり、自分の心を相手に委ねるのは難しいと思っています。恋愛は、同一化というか、二人で同じ一人になろうとしますよね。ほんとはそれがいいし、理想だけど、飛び込むのが怖い。
O 体の関係持つと疑似同化みたいになりませんか。同化した気になったみたいな。それは女だからかな。
S 体の関係という点で、男はね、ちょっと感覚が違うのかも。
O そこがすれ違うんでしょうね。どうして男と女があるんだろう。ほんとに残酷だな。
S 恋愛って、メリットがあんまりないですよね。それはみんな大人になればなるほどわかっているんだけど。坂口安吾さんが、恋は最初に出会って盛り上がっても、何週間も何ヶ月もしたら完全に冷め切って、恋愛なんてものは一切なくなる。そんなことはわかっているし、めんどくさいのもわかっているけど、なぜか恋愛にしか、自分のものづくりのベースを求められない不毛さがあるんだと書いてましたね。
O 確かに恋愛はものすごいエネルギーが湧きますもんね。
S 恋愛なんてどうせ冷めるし、それがわかってるならやらないほうがいいというものでもない。
阿佐ヶ谷のジェラート屋さん「Gelateria SINCERITA」で休憩。甘いものが大好きだという二人。
生きること全部を描く
O 曲は“降ってくる”ことが多いのですか?
S 音楽をやって長いから、ロジカルにも作れてしまうんです。でもやっぱり降ってきたようなやつがいいよねえ。一生に10曲くらいかな、いい曲が作れるのは。自分の命が宿ったものってありますよね。どうですか、漫画は。岡藤さんは量産するタイプではないですよね。
O 気持ちとしては、「これ作って死んでもいい」と思えるものを作るというのはあります。私は才能に恵まれた方ではないので、これがコケたら終わりという切迫感はあります。一話一話が勝負。
S 3話の足が悪い子の話が良かったです。最後のコマで「体育館で高田にほふく前進で絶叫告白したんやって? やるやん」というところがよかった。
O あの話は、実際に脳性麻痺で足が不自由な女性の方に取材して書いたんです。最初のネームではハッピーエンドにしようと思っていたんですけど、彼女は明るく振舞っていたけど、もっともっと辛い過去を押し殺してあんなふうに強く生きているんだろうなと思ってあのラストにしています。
S でもあれ、ハッピーエンドみたいな感じがしたけどね。
O そうですね。私はハッピーエンド思考というか、何かを失っても何か得るという話が好きで。彼女は想いは遂げられなかったけど、あのエンディングはすっと出てきました。まさに降ってきた感じでした。
S あのさらっと終わる感じよかった。あとは『エスケープ』のお母さんがね…。彼女はあの家に戻っていくわけですよね。
O そうですね。セックスの「オーガズム」のことをフランス語で「小さな死」と言うらしくて、あの話はまさにこのことだなあと。一回自分を殺して、また家族と対峙するということを描きたかったんです。ネームを描くときはその世界に入っているんですけど、作画に入ると一歩引いた自分がいるので、登場人物たちがかわいそうになってきてしまうんです。「辛いなあ、この子」と思ったりして。
S どうしてそんな話にするんですか。救いがないといえばないですよね。
O 私は、人生は苦しいことが多いような気がするんです。そういうことをすっ飛ばして、心地よいものだけは描きたくない。その中でもがく人を描きたいと思っています。
S その描き方があんまり人間臭くないというか、綺麗なんですよね。
O 美しく描きたいですね。
S 岡藤さんの作品は、全部、描いてしまっていてる感じですよね。恋愛とか、生きるとか、ある部分を抽出して物語にしてその周りは何かに委ねたりする表現方法あると思うんですけど、全部を描いてますよね。描ききってるというか。次の作品も決まっていたりするんですか?
O ありがとうございます。そうですね。また近いうちに、新作を読んでもらえるようがんばります!