【インタビュー】社会学の目的

【インタビュー】 社会学の目的

  • 2016.05.12
  • 聞き手:編集部

若手の社会学者がおもしろい

三浦耕吉郎『構造的差別のソシオグラフィ――社会を書く/差別を解く』
三浦耕吉郎『構造的差別のソシオグラフィ――社会を書く/差別を解く』
人が差別をするのではない。人の置かれた社会的立場が差別をなさしめるのである――。ある社会的関係において必然的に生じる「意図せざる差別」を浮彫りにし、「マジョリティ/マイノリティ」の二分法を根底から問い直す。
前田拓也『介助現場の社会学―身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』
前田拓也『介助現場の社会学―身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』
介助という実践のなかから、他者との距離感を計測すること、そして、できることなら、この社会の透明性を獲得すること……。「まるごとの経験」としての介助の只中で考え続けてきた、若き社会学者による待望の単著。
白波瀬達也『宗教の社会貢献を問い直す――ホームレス支援の現場から』
白波瀬達也『宗教の社会貢献を問い直す――ホームレス支援の現場から』
現代における「宗教の社会参加」をいかにとらえるべきか。ホームレス支援の現場からその現状を問う。
金菱清『生きられた法の社会学』
金菱清『生きられた法の社会学』
大阪国際空港(伊丹空港)の中にある中村地区は、約150世帯400人の在日の人びとが暮らす、日本最大規模の「不法占拠」地域である。2002年、国と伊丹市によって移転補償が決定し、真新しい共同住宅へ集団移転することになった。中村地区の生活誌を丹念に掘り起こして人びとの「生きられた法」をすくいあげ、公共性を組み替える「寛容な正義」を説く。
丸山里美『女性ホームレスとして生きる――貧困と排除の社会学』
丸山里美『女性ホームレスとして生きる――貧困と排除の社会学』
路上にとどまる彼女たちの「意志」とは何か? 女性ホームレスの知られざる生活世界に分け入り、個々の生活史や福祉制度の歴史から、女性が社会的に排除される過程を浮き彫りにする。彼女たちの声に耳を傾け、自立を迫る制度の前提にある主体とは何か、意志とは何かを問い直す。
石岡丈昇『ローカルボクサーと貧困世界――マニラのボクシングジムにみる身体文化』
石岡丈昇『ローカルボクサーと貧困世界――マニラのボクシングジムにみる身体文化』
貧困のなか、砂粒のように暮らす若者たちがスポットライトを浴び、リングで戦う。今を生き抜くため、彼らは国際的なボクシングマーケットに組み込まれながら日常の小さな実践を積み重ねる。その身体に刻まれた生き方をジムでの住み込み調査から克明に描き出す。
金泰泳『アイデンティティ・ポリティクスを超えて――在日朝鮮人のエスニシティ』
金泰泳『アイデンティティ・ポリティクスを超えて――在日朝鮮人のエスニシティ』
未完の民族意識。膨大なインタビューをもとに、ゆれうごく民族的アイデンティティを鮮やかに描き、そのジレンマの超克を模索する。

 いま一緒に仕事しているのが、構築主義の方法にとらわれていないひとたちなんです。本誌の特集でも書かれている方がたは、もちろん構築主義を踏まえながらも、みんなほんとうにおもしろい生活史やエスノグラフィを書いています。ほかにも女性ホームレスの聞き取りをしている丸山里美さんとか、沖縄の若年層について研究している上原健太郎さん、広島と沖縄で暴走族・ヤンキーの若者を対象に参与観察調査をしてきた打越正行さんとかね。打越さんは天才です。参与観察の天才。私は勝手に「日本のヴェンカテッシュ」と呼んでます。


 関学の三浦耕吉郎さん、それから彼が育てたたくさんの若手も、すばらしい仕事をされています。三浦さんは、日本解放社会学会のメンバーで、桜井厚と一緒に滋賀県で聞き取り調査をしていたひとなんです。三浦さんの『被差別部落への5通の手紙』『構造的差別のソシオグラフィ』という本はほんとうにすばらしくて、私の仕事の原点です。

 三浦さんは、弟子をのびのび育てていて、みんなすごくいいかんじの、若手から中堅のフィールドワーカーになってます。『構造的差別のソシオグラフィ』という本はその集大成です。そのなかで書かれている若手の社会学者はとてもすばらしいです。『介助現場の社会学』という本を書いた前田拓也さんも、私は大好きなんですけど、日本でいちばんミクロだと思います。変な言い方ですが(笑)。彼は介助者として現場に入る。重度の身体障害者の介助をして、マクドに一緒に行って、紙ナプキンでこぼしたものを拭いたら叱られた、みたいな話です。ここまでミクロなことを書けるのは、前田さんだけですね。ほかにも釜ヶ崎の宗教実践について調査している白波瀬達也(『宗教の社会貢献を問い直す』)さんとか、東北の被災地で旺盛に仕事をされている金菱清さん(『生きられた法の社会学』)など、たくさんの「現場系」社会学者がここから生まれています。

 状況は変わってきてるんです。僕はいろんなところでそういってますが、その原因のひとつが、文科省です。大学院重点化で、ぜんぶの大学院で博士号を出すようになってしまった。文科省の政策はほとんど悪くいうひとばかりですが、私もそう思ってますけど(笑)、ひとつだけいいことがあった。みんな博論を書いて出版するようになったんです。そういう博士論文の多くが、質的調査にもとづいています。フィールドワークは計量と比べてそんなにお金がかかりませんからね(笑)。もちろんそれがすべてではないですが、そうやって若手のフィールドワーカーが増えて、この10年くらい、良質のエスノグラフィが増えてきました。そのひとつが、さきほどあげた丸山里美さん(『女性ホームレスとして生きる』)とか、今回フィリピンのボクサーについて書いてもらった石岡丈昇さん(『ローカルボクサーと貧困世界』)です。彼の「汗臭い」文章は、とても感動的です。その丸山さんと石岡さんには、有斐閣でいまつくっている質的調査の教科書でもお手伝いいただいてます。それから、齋藤直子さんの仕事も注目されています。被差別部落の生活史の研究をしているのですが、特に部落の結婚差別について、いま単著を書いているところです。今年の夏にも勁草書房から出版されることになっています。

 ほんとうに時代は変わったな、と思います。社会学者も、いろんなレベルで、その研究はどうおもしろくて、どう役に立つのか、つきつけられる。市場に放り込まれて、外部の目にさらされる。誠実さの競争だけをしていればいいわけじゃない。「君が誠実なのはわかったけど、何も書いてないじゃん。それで何がおもしろいの?」といわれるわけです。

 いま、若手の社会学者はほんとうにおもしろい。それを紹介する仕事がしたいんです。他の出版社でもエスノグラフィのブックレビューを書こうと思っていますが、『atプラス』の今回の執筆者もそうしたおもしろい仕事をしている方たちです。ぜひ一緒にいちど仕事をしたいと思って、今回みなさんに集まってもらいました。

地道な調査が新鮮に映る

――岸さんに紹介していただいた社会学者の方たちのお仕事は、一般でイメージされる社会学とはちょっとちがうように見えますね。

 一般のイメージについていえば、評論家みたいな社会学者がこれまで多かった、ということがありますね。大学でプロパーの論文書かずに、マスコミで飯食ってても許された、みたいな。でも、市場で売れる本書けばいいのかっていうと、そんなことはない。それなら社会学という学問は不要です。くだらない社会批評みたいな本を書いたりテレビに出たりとか、そういうことができたのも、大学がぬるかったからです。これからは、せめて紀要に論文書くとか、査読に出すとか、英語のジャーナルに出すとか、そういうことが問われてくる。もちろん一般向けの本は必要だし、私自身も書いてますが(笑)、あくまでも現場で地道な調査をやったうえでの話です。

 そういう評論家みたいな社会学者ばっかりこれまで目立ってきましたが、じつは日本中の大学には、地道に調査をやってきた社会学者がいっぱいいて、おもしろいものがいっぱいあるんです。ここで1冊だけ例をあげれば、たとえば金泰泳『アイデンティティ・ポリティクスを超えて』という本はほんとうにすばらしかった。1999年の本ですが、揺れ動く多様な在日アイデンティティについて、とても鋭い分析をしています。

 じつは、そういう地味な仕事をやってきたひとがいっぱいいて、社会学のおもしろさと将来はそこにかかってるんです。そういう本は、もしかしたら一般に売れる本ではないかもしれない。だけど、私の『街の人生』を読んでくれるひとがいるっていうのは、ひとつの可能性ですよね。ふつうのひとが、語りのおもしろさをわかってくれるんだなと、すごくうれしかったです。ずっと悩んでやってきて、絶対これが正しいと思って出したんですが、それがたくさんの方に読んでもらえて、ほんとうにうれしい。

 『断片的なものの社会学』も版を重ねていますが、あの本も生活史の聞き取りという仕事をしていなかったら書けなかった。調査の現場で出会ったエピソードももちろん含めているんですが、あの本の発想やイメージそのものが、そもそも個人の人生やその語りについて考えてきたからこそ得られたものなんです。だからあの本のタイトルにはどうしても「社会学」という言葉を入れたかった。

 あの本が受け入れられたことを思うと、やっぱり社会批評じゃなくてふつうの社会調査というものが、逆に新鮮なんだと思います。さきほどお話しした三浦耕吉郎さんとついこのあいだ飲んだとき、この本のことを「くやしい」っていってくれたんです。同じように調査の現場でいろんなことがあったのに、先に書かれたと。『断片的なものの社会学』は「犬が死んだ」話からはじまるんですが、「ああいうこと、実際にあるよね」って三浦さんはいったんですね。私は、「くやしい」っていうのが、最高の褒め言葉だと思う。

――岸さんの研究というのは特別なことではなくて、社会学のなかでずっとやられてきたことなわけですね。

 そう。でも、私はもともと理論系だったんですよ、最初に書いた論文はウィトゲンシュタインです。修士2年生のときで、『ソシオロゴス』(1994年9月号)に載っています。「規則と行為」という大風呂敷のタイトル(笑)。めっちゃ恥ずかしい(笑)。その続きが、それから20年後の『現代思想』に書いた「鉤括弧を外すこと」という論文です(2015年7月号)。「規則と行為」という論文も、解放社会学的なエスノメソドロジーへの批判でした。結局、ずっとあのへんの批判をしてる。いかに実証主義的でオーソドックスな調査を理論的に正当化するかという仕事を、これからもしていきたいと思います。

谷富夫――実証主義的生活史

 私は無所属の期間が長くて、4年も日雇いの労働者をやってました。後期博士課程に入ったのは29歳です。在野といえばいいすぎですが、要は野良犬なんです。でも、後期博士課程から入った大阪市立大はすばらしいところで、そこでいろんな「調査屋」の研究者と出会い、フィールドワークの精神を叩きこまれました。指導教員がばりばりのフィールドワーカーで、谷富夫さんというひとです。桜井厚のところでも触れましたが、このひとも、一派を築いてるんです。

谷富夫『新版 ライフヒストリーを学ぶ人のために』
谷富夫『新版 ライフヒストリーを学ぶ人のために』
人間を理解し、社会を読み解く生活史法への招待。たえず多元化する生活世界と、たえず異質化する現代社会――その内奥へわけ入る方法。

――『ライフヒストリーを学ぶ人のために』という教科書を出されています。

 谷富夫は、実証主義生活史法で、ものすごい独特です。だから、じつは日本の生活史調査は、桜井厚一色というわけでもないんです。谷富夫の流れもある。私と齋藤直子は、じつは若いときに、1年間だけですが、桜井厚の調査を手伝って、そのやり方を間近で見たことがあるんです。だから、日本で桜井と谷のふたりのもとで勉強したのは、私と齋藤直子だけだと思います。両方について、両方を批判してる(笑)。

 谷富夫の生活史は、ものすごい実証主義的で、典型的な社会調査です。基本的には量的調査の発想です。母集団からバイアスのないようサンプリングする。サンプル標本を調べる。誤差をないようにして、それで母集団の特性を推定する。谷富夫の方法論もこれに近いものです。母集団のなかの類型的なサブカテゴリに属する人びとを抽出して、その語りから「データ」を得る。社会調査の王道というか、とてもオーソドックスな方法です。

 でも、ひとりの人生の語りをほぼそのまままるごと掲載しているのは、意外なことにじつは谷さんのほうです。『過剰都市化社会の移動世代』という本は、沖縄の出稼ぎとUターンに関するものです。私の『同化と他者化』の先行研究にあたるのですが、このなかで彼は、ひとりひとりの語り手の語りを、そのまま丁寧に掲載しています。彼はかなり語りに編集を加えるほうですが、それでもあのやり方は、語り手の語りに非常に誠実に、敬意を払っていると思います。

 無所属の時期も長かったし、師匠の谷富夫も実務家タイプだったので、わりと戦略的に自分のポジションとか、どうやって飯食っていくかとか、そういうことを考えました。自分のやりたいことも考えた。結局行き着いたのは、ものすごいオーソドックスな質的調査だったわけです。『同化と他者化』は「近年稀に見るオーソドックスな社会学だ」と北田暁大さんにいわれました。

著者プロフィール(岸政彦

一九六七年生まれ。社会学者。龍谷大学社会学部教授。研究テーマは沖縄、被差別部落、生活史。著書に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)、『街の人生』(勁草書房)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社)など。

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