【対談】 日本の保育はイギリスに学べ!?〔前篇〕 トニー・ブレアの幼児教育改革について
- 2016.05.16
保育士が少ない日本の保育園
ブレイディ 認可保育園を取材していてまず驚いたのが、子どもに対して保育士の数が少ないことでした。
猪熊 ブレイディさんは、何度も「信じられない。先生が少なすぎる」とおっしゃっていましたよね。一応、国の最低基準で、保育士1人が見られる子どもの数は決まっています。0歳児だと3人、1、2歳児は6人、3歳児は20人、4、5歳児は30人です。これが国の保育士の配置基準です。
ブレイディ 本当に信じられませんでした。私たちイギリスの保育士が見られる子どもの数は、0歳児は同じ3人ですが、1歳児は3人、2歳児は4人、3、4歳児は8人ですもん。日本だと保育士1人で3歳児を20人見なければならないってことですよね? でも、あの年齢の子が一番大変でしょう。どうやって子どもを見るんだろう。
猪熊 今年度から3歳児を保育士1人に15人の配置にすれば、国から補助金が出るようになりましたが、どう考えても1人で15人でも見るのは無理ですよね。
ブレイディ すべての年齢のクラスを受け持ったことがありますが、3、4歳児が一番大変なんですよ。たとえば、庭で誰かが転んだり、喧嘩したりして、怪我をして手当てしなきゃいけなくなった場合、ほかの19人は誰が見るのよ? という感じです。ものすごい危険だなと思いました。
イギリスも0歳児は3人ですが、民間の保育園は保育士1人が0歳児2人見ることを売りにして、入園する子どもを獲得してたりします。そのほうが子どもを見るのは安全だということです。火事になって逃げるとき、子どもは2人しか抱えられないじゃないですか? どうやって3人抱えて逃げるんだって話でしょう?
猪熊 ホントにそうですよね。私、双子の息子がいるんですが、体力的に2人で限界ですよ。保育士さんはプロだから3人みられるだけで、十分とはいえません。ところがかつて、前東京都知事の猪瀬直樹さんはこの基準を規制緩和するべきだっていって、0歳を1対5にしろっていったことがあるんですよ。私はあまりに腹がたって、「都庁の上から0歳児を5人抱えて降りてみてください」と書いたことがありました。保育の現場を知らないひとたちが政策をたてているんです。
ブレイディ 日本の保育士さん大変ですよね。うしろに目がないと、とても子どもの世話ができない感じです。
猪熊 日本は何でも精神論だから、「うしろに目をつけろ!」というらしいです(笑)。
ブレイディ つかないですよ(笑)。
猪熊 そうですよね(笑)。保育のことを研究していてため息が出るのが、結局は「お金」の問題がそのまま保育の質の格差につながることなんです。取材した区立認可保育園では1歳児は保育士1人に5人でした。国の基準だと1歳児は6人までなんですよ。1人の保育士が見られる子どもの数を1人減らしたら、その分保育士さんの数が必要になりますよね。その人件費は東京都や世田谷区が予算をつけています。こういうふうに自治体や国がつぎ込むお金の差で、現場の忙しさや子どもへの関わり方がまったく変わるんです。「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログによって待機児童問題が注目されましたが、今回の政府の緊急対策では、この部分、自治体で補助金を出して保育士を加配して1対5にしているところでも、待機児童が多ければ1対6にするようにすすめる、ということ。あまりにも現場無視の逆行政策で、唖然としましたね。
ブレイディ なるほど、それですごく印象に残ったのが、子どもの遊ばせ方ですね。取材したときは節分のころだったので、どこの保育園も子どもたちがつくった鬼のお面をかざっていました。でも、全部同じような鬼のお面でした。おそらく、先生があらかじめ紙を丸い顔に切って、そこにクレヨンで色を塗らせていたからでしょう。保育士さんが見なければいけない子どもの数が多いから、一人ひとり自由にさせられないんですね。
イギリスの場合は、もっと自由に遊ばせます。まず、「どの紙選ぶ?」というところから始まります。普通の紙かダンボールか厚紙かと選ばせたり、顔のかたちも丸い以外にも選ばせる。お面がつくりたくなければ、違うものをつくっていい。一人ひとりの個性やクリエイティビティを伸ばすことは、子どもの人数が多いとできないですよね。
猪熊 本当は日本の保育も、そういう教育をやりたいんですよ。自由な遊びが子どもたちの創造力や知力を伸ばすこともよくいわれています。けれども、いまの現場の人数だとできない。あと、人数だけじゃなく、面積の問題もあります。
50人以上待機児童がいる自治体は、保育園の子ども1人あたりの面積も緩和することができるようになっています。日本の最低基準では、0歳児がハイハイできる場所が1人あたり3.3㎡、畳2畳分を必要とされています。この写真のオレンジのラインがその最低基準の3.3㎡の広さ。グリーンのラインは、世田谷区や石川県金沢市、千葉県船橋市などの基準で、5㎡取っています。面積を広く取っているから待機児童が解消されない、などと非難されていますが、それでも保育の質をたもつにはこの広さは譲れないんですよ。この外側のブルーのラインはスウェーデンの7㎡。逆に、東京都認証保育園は、国の最低基準を下回る赤色のライン2.5㎡で運営されています。
ブレイディ イギリスもだいたいの保育園は3.3㎡くらいですね。ただ、イギリスがそれほど広くないのは、保育園の多くが民家を改造しているようなところが多いからだと思いますね。
猪熊 なるほど。2013年に横浜市が待機児童ゼロを達成したと発表したときは、待機児童が50人以上いる自治体の緩和特例を利用して、2.46㎡で運営されていました。東京都認証保育所の2.5㎡よりも狭かったんです。超つめこみですね。そして0歳児3人に先生が1人つくので、1人あたりの面積を狭くすればするほど、大人も増えて混雑した感じになるんです。
ブレイディ 本当にそうですね。
猪熊 待機児童解消のために保育園の定員以上の子どもを入園させることを「弾力化」と呼んでいます。面積基準をクリアしている限り定員の25パーセントまで増やせるので、定員100人の保育園は125人まで預かれる。むかしは待機児が多くなる10月以降、秋から冬にかけて一時的に弾力化していたんですが、最近はもう年度始めの4月から限界まで弾力化してしまっています。どこの保育園もぎゅうぎゅう詰めなんです。
さきほどいいました0歳のハイハイする場所が「3.3㎡」という面積基準は、1948年に児童福祉法ができたときの最低基準のままなんですね。保育士の配置基準もそうです。当時の厚生労働省の保育課長が「とにかくこれは保育所の基準としては最低の最低だから、日本が戦災から復興してもっと豊かな国になっていったらこれは上げなきゃいけません」といって決めた基準なんですが、現実はそれよりもどんどん悪くなっている。国が豊かになって子どもに与えられるお金は増えてしかるべきなのに、逆行しているんです。
ブレイディ 日本の保育の話を聞いていると、絶望的な感じがしてきますね。
日本の保育園は戦後の闇市
猪熊 日本の保育政策は、待機児童解消のために、これまでの規制を緩和することで、保育園を増やそうとしています。これからお話するのは、2013年に横浜市が待機児童数ゼロを達成した際、その実態について取材したときのものです。
たとえば、横浜市待機児童数ゼロに貢献した「成功例」として、市の区政レポートにも出てくる、某電鉄グループが運営する保育園で、電車の線路の高架下につくられています。ラッシュのときには3分に1本電車が通ります。園庭も高架下にあって、大きなコンクリートの柱に子どもがぶつからないようにクッションを巻いているんですね。保育園自体は駅から近いところを売りにしているのですが……。
ブレイディ ものはいいようというか……。普通、高架下って飲み屋とか居酒屋があるところですよね?
猪熊 そうですよね。たしかに飲み屋とか居酒屋とか駐車場になってるとか、基本的に環境があまりよくなくて、ひとが住まないところです。以前、練馬区が関越自動車道の高架下に老人施設をつくる計画を出して、お年寄りたちが裁判を起こしたことがありました。「こんなところに私たちを入れるのはやめろ!」って。老人は裁判を起こせるけど、子どもたちは裁判を起こせない。ここは認可保育園なのでどこに入るかは行政に割り振られるので、選ぶことはできません。絶対に嫌だと思ったら申請書に書かないはずですが。
横浜市だけでなく、都内でも私鉄電鉄やJRの高架下にも保育園が増えてきています。その是非が問われることはほとんどありませんね。
ブレイディ 子どもやお母さんもかわいそうですが、なにより現場で働いている保育士さんがかわいそうですね。
猪熊 鉄道の高架下だけじゃありません。川崎市のある保育園では建物のうしろ側に高いフェンスがつくられているんですが、隣がなんと産廃置き場! 保育運営会社は市に「産廃の会社は立ち退く」といって建てたそうですが、産廃会社の社長さんは「未来永劫立ち退くことはない」とおっしゃっていました。産廃の瓦礫を重機でつぶす音がすごいし、ホコリが多い。
ブレイディ かわいそうに。喘息の子もいるだろうに。
猪熊 喘息やアレルギーのお子さんはつらいでしょうね。私もコンタクトレズを使っているので、その周囲を歩くだけでホコリで目が痛くなりました。けれども、お散歩に行くのにフェンスの横やトラックが出入りする産廃置き場の入り口を通らなきゃいけない。ここも認可保育園なんです。
ブレイディ 認可!? イギリスだったら認可取り上げられますよ。
猪熊 お迎えに来たお母さんたちに取材すると「産廃の隣にあるのは知っていたし、2年待ってやっと入れたので良かったです」といわれる。保育園が少なくて待機児童が多いせいで、あまり環境が良いとはいえない保育園でも、親に「入れて良かった」と思わせてしまう。この現状はひどいな、と思いました。
しかも、保育環境が悪くなればなるほど、保育士さんたちの負担が増えるじゃないですか。トラックに気をつけなければいけない、ホコリをどうしようとか。園庭さえあれば、もっと負担も少なく、子どもたちも自由に遊べるのに。2001年から認可保育園に必要だった園庭は、待機児童の多いところでは、近くにある広場や公園、屋上で代用してもいいと規制緩和されたんです。いまでは園庭がない認可保育園がすごく増えました。
幼稚園と小規模保育所を運営している仲良しの園長先生が、いまの保育園は「戦後の闇市」みたいだとおっしゃっていたことがあります。闇市みたいに怪しげな商品を売っても買うひとがいる。どんな保育園でも入りたいひとがいっぱいいる、ということです。待機児童解消が使命の都市部では、箱さえつくれればもうどんな箱でもいい、という状態になってきているんですね。
日本だけではなく、海外でも待機児童が問題になっているところはあります。たとえば、2013年に1歳児から「保育所の居場所を得る権利」を与えたドイツでは、一時期、待機児童が急増したのですが、その対策として「コンテナ」を保育園に転用して施設を整備する期間を3分の1に短縮した、とNHKのニュースで報じられました。でもまさかドイツ人が貨物用のコンテナみたいなところに子どもをつめこむわけがないと思って、調べたんです。すると私たちが日本人が想像するようなコンテナではなかったんですね。ようはすでに出来上がっていて置くだけで使える施設というような意味でのコンテナであって。「コンテナKITA」(KITAは幼保一体化施設)を調べたら、内部は全部子どもサイズに合うようにつくられていますし、それを広い公園にポンと置けば周りで遊ぶこともできます。日本の変なところにある認可保育園よりは全然いいものでした。
ブレイディ 日本には理念がないんですね。イギリス北部のブラッドフォードでスラムの子どもたちの健康のために運動していたアクティビスト、マーガレット・マクミランがロンドンのデプトフォードで姉のレイチェルと一緒に始めた、ナースリー・スクール(nursery school)がいまの保育園の始まりといわれています。小さな子どもが工場で働かされたり、汚いスラムで住まざるをえなかった20世紀初めに、子どもたちがきれいな空気が吸えて、緑がある健康的な環境で、創造性を高められるために、ナースリーを始めたわけです。それが、いまじゃ高架下って、「マクミランの精神はどこに行ったんだ?」って話ですよね。
猪熊 日本も明治時代に都市化が進んで、大都市にはスラムができたんです。都市における日本の最初の保育園も、四谷鮫河橋という大きな貧民窟の子どもたちを預かった二葉保育園(1900年設立)だといわれています。だから、貧困から子どもたちを守るという保育園の理念は、日本にもあるはずなんですが、いまではもう薄れてきている。当時からすれば、日本も豊かになったと思いますが、保育園の先生たちに取材すると「虐待を受けている子がいて」とか「親が犯罪で捕まってしまって」とか「家でちゃんとしたご飯を食べていない子、服を毎日着替えてこない子がいる」という話はよく耳にします。福祉としての保育園のニーズはいまもあるはずなのに、福祉よりも就労支援の側面が強くなって保育本来の理念が薄れていると思いますね。〔後篇に続く〕