【対談】日本の保育はイギリスに学べ!?〔後篇〕

【対談】 日本の保育はイギリスに学べ!?〔後篇〕 トニー・ブレアの幼児教育改革について

  • 2016.05.20

保育士にかけるお金は子どもへのお金

猪熊 今回の取材では、ブレイディさんと一緒に世田谷区内の保育園を回りましたが、世田谷区は全国で最も待機児童数が多い自治体なんですよ。2014年から2年連続で全国ワースト1位です。認可保育園に申し込んだうちの半分の子どもは入れないんですね。

ブレイディ 半分もですか!

猪熊 ただ、待機児童数の算定方法が、自治体によって違うせいもあるんです。それまで待機児童数が全国ワースト1だった横浜市が、2013年に待機児童数がゼロになったと大々的に発表しましたが、数字上のマジックだったことは自著のなかでも書きました(『「子育て」という政治』角川新書、2014年)。

『「子育て」という政治』
猪熊弘子
『「子育て」という政治』
角川新書、 2014年

 世田谷区では、本来の待機児童の定義に近いカウント方法をしています。たとえば、保育園に入れなかったために育児休暇を延長したひとは、世田谷区では待機児童扱いですが、他の自治体では待機児童にカウントされないことが多いんです。保坂展人世田谷区長も、算定方法を変えることで待機児童数を減らすのはおかしいのではないかと指摘しています。
 また、世田谷区に待機児童が多いのは、区の子育て施策が充実していて、子育て中のひとが多く集まってくるからという側面もあります。出産直後から4カ月間、育児相談はもちろん、ショートステイで24時間助産師さんのケアを受けられる「産後ケアセンター」、NPOなど区民の力で運営されている「子育てひろば」、職員やボランティアが常駐し、たき火や木登りなどの冒険も含めて子どもたちが自由に遊べる「プレーパーク」もあります。
 もちろん世田谷区が完璧だというわけではありませんが、「子ども・子育て応援都市」を宣言しているだけあって、おこなわれている子育て施策はきわめて高い水準にあります。待機児童数が減らないのも、世田谷区全体の人口約90万人に対して、毎年小学校入学前の子どもが1000人ずつ増えているという影響もあります。

ブレイディ 日本全体は少子化なのに。

猪熊 そうですね。保育園に入りたいと申請する数もどんどん増えていますし、つくってもつくっても保育園が足らないんです。世田谷は土地代が高く、住宅地のなかにようやく見つけた土地に新しい保育園を建てようとすると「騒音が問題だ」と近隣住民からの反対運動が起こるんです。

ブレイディ 子どもの声が「騒音」だといわれるのですか?

猪熊 そうなんですよ。それで保育園をつくることができなくなったところもあります。そのため、世田谷区では民間の土地だけでなく、国の公務員宿舎の跡地や公園、中学校のなかなど、ありとあらゆる土地に保育園を建てています。待機児童対策のひとつとして、保育園の「分園」というかたちで運営されているところもあります。限られたスペースに建てるとなると、国の基準をクリアできるような給食設備を用意できないケースもあるので、本園から給食を運んでもOKという「分園」というシステムができたんですね。
 今回は、私立等々力保育園の分園「このは」にうかがいました。もともと世田谷区立等々力中学校の駐車場だった細長いスペースを借りて建てているので、うなぎの寝床のような建物になっています。

ブレイディ 特徴的な建物でしたね。

猪熊 世田谷区の待機児童数が多いのは、民間企業の参入を阻んでいるからだと、長い間、批判されてきました。しかし、それは民間企業が経営している保育園には国からの補助金がつかなかったこともあって、世田谷区が求める十分な質を提供できていなかったからです。
 2015年3月には「世田谷保育の質ガイドライン」がつくられました。子どもの人権を守り、保育の質を向上させるためにつくられたガイドラインです。世田谷区立の保育園で、お散歩中に子どもが多摩川に流されて亡くなった事故の反省から二度とそのような事故が起こらないように厳しい安全基準をもうけ、ほかにも区が公表していないような保育園への指導基準などの要素も含めて、世田谷区が求めている保育の質と、それを守るための厳しいルールをあらためて明文化したものです。認可施設だけでなく、認証保育園も含めた世田谷区内のすべての保育施設に適用されるものです。区内の保育園の先生方は、みんな「世田谷保育の質ガイドライン」を誇りに思っていますね。取材でも、真っ先にガイドラインを出してこられた園もありましたよね。

ブレイディ 取材した保育園でも、保育園の業務以外に、妊娠中のお母さんのための相談会を開いたりしているとおっしゃっていましたよね。話をうかがった園長先生も、私の知っているイギリスのチルドレンズ・センターの先生に似ているな、と思いました。

猪熊 2015年度から「子ども・子育て支援新制度」がスタートしたのを機に、世田谷区でも企業が経営する認可保育園ができましたが、なかには当初、保護者からの苦情が相次いで、区立保育園の元園長先生など、区の職員を入れて改善したところもあるんです。自治体が積極的に関わらなければ、保育の質がたもたれているとはいえない状態になることもあるんです。とはいえ、待機児童数が増え続けているので、保育園は一度認可したら取消はできない、という状態にあります。

ブレイディ イギリスでは8割以上が民間企業運営の保育園です。民間企業の何が問題なんですか?

猪熊 もちろん、民間企業が経営する保育園がすべてダメだといっているわけではありません。税金などの優遇も多い社会福祉法人を設立する場合には自分の土地や財産を寄付する必要があり、世襲のところも多いんです。保育への熱意があっても財産がなければ、保育園をやりたいなら、もはや会社を起こすしかないですから。
 問題は人件費なんですね。
 特に民間企業がチェーン展開をしているような保育園は、全体の運営費に対する人件費率が低いことが多いんですね。横浜市の待機児童数ゼロの実体を取材したときに、議員さんたちが調査したデータを見せていただいたんですが、驚きました。日本の保育園の運営費における人件費の割合は70パーセントが平均です。高いところだと、80パーセントを超えるところもあります。ところが横浜市内のある民間企業がチェーン展開している保育園のなかには人件費率がたった45パーセントというところがありました。

ブレイディ そんなに違うんですか?

猪熊 ええ、そこまで低いところがあるとは驚きでした。保育士さんにかけるお金というのは、結局のところ、そのまま子どもにかけるお金です。人件費が低い保育園は、保育の質も低くなります。だから、企業でも運営費のうち80パーセント、70パーセントを人件費に回せればいいと思います。結局、保育の質の問題はお金の問題になってきます。きちんとかけるべきお金をかけなければ質は上がりません。

競争するイギリスの保育

ブレイディ イギリスも民間企業の保育園は多いです。新自由主義の国ですから。でも、元保育士さんが自分で立ち上げた小さな会社が多いですね。チェーンも2、3社ありますが、全国ではなく、ロンドンなど都市部にだけ展開しています。

猪熊 イギリス生まれの「チャリティ」(慈善)の発想は、本来キリスト教にもとづく民間主体の運動だから、民間重視の伝統があるんでしょうね。イギリスには日本のような待機児童の問題はあるんでしょうか?

ブレイディ イギリスは新自由主義の国なので、保育園同士が入園児を獲得しようと競争しています。先ほどもいいましたが、イギリスにはオフステッド(OFSTED)という教育水準がたもたれているかどうか査察する公的機関があります。それぞれ査察結果を4段階評価してウェブサイトに公開している。親御さんはみんなそれを見て、どの保育園に子どもを預けるか、選ぶんですね。
 たとえば、いまイギリスのジョージ王子がモンテッソーリ教育(イタリアの医師、マリア・モンテッソーリがローマのスラムに設立した「子どもの家」から始めた幼児教育法)の保育園に通っているので、モンテッソーリ教育の保育園はいっぱいで、入園待ちの子どもがたくさんいる。日本の待機児童とはかなり事情が違います。評判のよい保育園はウェイティングリストがあって、待っている子どもがたくさんいます。
 するとどうしても地域差が出てくるんです。いわゆる貧民街にある保育園は空きがあるんですが、ミドルクラスが住んでいるような地域では保育園は子どもが待っている。イギリスが階級社会であることが、保育園にもあらわれています。

猪熊 日本とは全然違いますね。日本では、児童福祉法24条という法律のおかげで、地方自治体に保育をする義務が課せられています。なので、認可保育園の場合、地方自治体に申し込みの手続きをして、その地域にある保育園に割り振られるんですね。家から近い保育園に預けられるとは限らないし、遠くの保育園になるかもしれない。新しいきれいな保育園になるかもしれないし、昭和に建てられた古い保育園なるかもしれない。

ブレイディ それはそれでつらいかもしれないですが、イギリスみたいに階級ごとにはっきり分かれないという意味ではいいですね。

猪熊 日本では、たとえば同じ保育園で同じ保育を受けていても、親の収入に応じて保育料は変わります。生活保護世帯など、無料で預けられる親もいる。けれども、園のなかでは親たちはもちろん、一般の保育士の先生たちも誰がいくら支払っているかはわからないシステムになっています。そういう意味ではきわめて平等なシステムです。しかも、認可保育園は、主に国や自治体の補助金で運営されているので、保育料は高くありません。

ブレイディ イギリスは保育料がものすごく高いです。フルタイムで預けられるのは、キャリアを持っているハイクラスの女性だけです。そのひとたちもナニー(nanny)と呼ばれるチャイルドケアの国家資格を持った方に家に来てもらったり、留学生をホームステイさせる代わりに子どもの世話をしてもらうオーペア(Au Pair)という制度を利用したりして、やりくりしているひとも多い。私が働いているブライトンは、ロンドンに比べて保育料は安いんですが、それでもフルタイムで週40時間1カ月預けたら、900ポンドかかります。

猪熊 900ポンド?!

ブレイディ これは3歳までの、国の補助金がまったくない年齢のときです。3歳から週15時間は無料で預けられますが、それでもフルタイムだと600ポンドぐらいはかかりますね。ロンドンになると1カ月1500ポンドとかになる地域もあるみたい。

猪熊 えー?! いま、日本円に換算すると、いくらくらいですか?

ブレイディ  1ポンド160円として、24万円くらいになっちゃいますね。だから、だいたい想像つくじゃないですか。0歳児をフルタイムで預けて働くことができる方々がどんなひとたちなのか。だから保育園もきれいにして流行のインテリアをそろえたりしないとだめなんですよ(笑)。前回お話しましたが、0歳児を見る保育士を増やしたりして、競争によって保育の質が上がっている面もあります。
 
猪熊 日本では、国が保育料の上限額を決めていて、そこに自治体が補助金をつけて、どんどん安くしていくシステムなんですが、補助金が多い東京23区内では0~2歳で一番高くても7万円台。政令都市ではもっと高くなります。たとえば川崎市だと8万2000円が最高額です。

ブレイディ 安いですね。イギリスだったらみんな預けるようになります。
 イギリスでは保育料があまりにも高いので、2013年から日本の生活保護にあたるインカム・サポート(所得補助金)や低所得家庭のためのタックス・クレジットなどを受けている方は2歳児から週15時間は無料で子どもを預けられるようになりました。しかし、子どもたちを入れる保育施設がすごく不足しているんです。普通の保育園だとほかの子どもの親御さんに、「そういう子どもは入れないで」といわれてしまうんです。すると、ほかの保育園との競争もあり、園児が減ると困るので、いわれた通りにしてしまう保育園が多い。権利があるにもかわわらず、貧しい子どもは受け入れられない。

猪熊 階級社会ってやっぱりすごいですね……。
 日本は保育料が安いこともあり、働いている親御さんはフルタイムで預けています。2015年度から始まった子ども・子育て支援新制度では親の働く時間に応じて8時間もしくは11時間まで預けられます。制度的にもどうしても預けっぱなしになりがちなんですが、とくに首都圏では通勤時間も長いし、労働時間も長いので、意志に反してそうなってしまう親御さんも多い。0歳の赤ちゃんを夜20時まで預けざるをえないひとも多いです。
 まだ生後6カ月くらいの小さい赤ちゃんがいるお母さんから、「育休があけたらすぐに復帰しろと会社にいわれて、復帰したら20時や21時まで働かなきゃならないんです。どうしたらいいですか? やっぱり二重保育ですか?」と相談を受けたりします。「二重保育」というのは保育園の通常の保育時間が終わったあとに、別の施設やひとに預けることです。いま、だいたい都市部の普通の保育園では延長保育をしたとしても20時くらいまでですが、取材した保育園では22時まで延長保育がありましたよね。

ブレイディ あれはびっくりしました。仕事が忙しくて夜遅くまで子どもを預けざるをえない状況は、本当に悲しいと思いました。イギリスではだいたいの子は17時に迎えが来て、おそくても18時すぎまでです。

猪熊 毎日22時まで保育園にいる子どもも、親と同じように「長時間労働」なんですよね。日本の保育制度は、親を働かせるために、いかにていよく子どもを預けさせるか、という考えになってしまってきています。子どもの人権なんて考えられていない。認可保育園が休みのときのための、休日保育や年末保育、さらには病児保育もありますね。

ブレイディ 病児保育はどこに預けるんですか? 保育園ですか?

猪熊 保育園や病院の小児科に併設しているところもあります。家まで保育者が派遣されて1対1で病気の子を見てくれるサービスもあります。ただ、怖い気もしますよね。もちろん研修はうけるんでしょうが、医療の専門家でなく、保育士資格もない普通のひとに預けるのは。
 日本ではいま、病児保育は一般的になってきていますが、「必要悪」であってほしいと思っています。子どもが病気のときには会社を休める社会であってほしい。私自身、フリーランスで代わりがいない仕事で、子どもが熱を出したときでも仕事をどうしても休めませんでしたから、病児保育の必要性はわかります。実際に、新幹線で実母に来てもらったこともありますよ。けれども、あまりにも病児保育が広まったために、会社で「子どもが熱を出しているので、明日休みます」といったら、「なんで病児保育に預けないの?」とハラスメントを受けた、という話も聞いたことがあります。

ブレイディ そんなことはイギリスではできないですよ! 子どもも病気のときに知らないひとに預けられたらトラウマになってしまいますよ。会社も許すべきですよ。

猪熊 日本の企業は子どものための制度には消極的ですね。たとえばいま「イクメンプロジェクト」といって男性が育児休暇を取ることを国が推進しているんです。企業に育児休暇を習得した男性社員がいると、子育てにやさしい会社として厚生労働大臣の認定が受けられて「くるみん」「プラチナくるみん」というマークをもらえるんです。その制度はいいんですが、では実際に育児休暇を取った男性に「何日取ったの?」と聞くと、2週間、1週間、さらに3日だ、なんていうひともいて、「それは育児休暇ではなく、有給消化じゃないの?」と思ったりします。むしろ、会社が「くるみん」マークに認定されるための、会社のための育休、みたいな。

著者プロフィール(ブレイディみかこ猪熊弘子

猪熊弘子 ジャーナリスト、東京都市大学客員准教授。著作に『「子育て」という政治』(角川SSC新書)『死を招いた保育』(ひとなる書房)、『命を預かる保育者の子どもを守る防災BOOK』(学研教育出版)、『なんで子供を殺すの?』(講談社)など。翻訳書に『ムハマド・ユヌス自伝』『貧困のない世界を創る』(いずれも早川書房)などがある。

ブレイディみかこ 1991年よりイギリス・ブライトンに在住。保育士、ライター。著作に『花の命はノー・フューチャー』(碧天舎)、『アナキズム・イン・ザUK』『ザ・レフト――UK左翼セレブ列伝』(いずれもPヴァイン)。Yahooニュース!の連載などをまとめた『ヨーロッパ・コーリング――地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)を6月に予定。ほか月刊『みすず』で「子どもたちの階級闘争」を連載。

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