【対談】日本の保育はイギリスに学べ!?〔後篇〕

【対談】 日本の保育はイギリスに学べ!?〔後篇〕 トニー・ブレアの幼児教育改革について

  • 2016.05.20

すべての子どもに保育を受ける権利を

ブレイディ イギリスはサッチャー以来のネオリベの国です。競争が保育の世界にも根付いていて、ハイクラスのひとしかフルタイムでは子どもを保育園に預けられません。地域ごとで非常に激しい貧富の差があります。すると、貧富の差が子どもの発育の差にまで出てきたんです。就学前の4歳児の時点で裕福な家庭と貧しい家庭の子どものあいだに、発育に大きな差がありました。
 トニー・ブレアが97年に首相になったとき、幼児教育の大改革をやりました。98年にシュアスタート(sure start)プログラムをつくりました。幼児教育とケアを与えることですべての子どもが人生の最高のスタートに立つことができるように保障したプログラムです。
 まずブレア政権が取り組んだのは、英国で最も貧しい地域に的を絞り、その地域の子どものケアと教育を底上げしようとしました。託児所だけでなく、助産師による健康診断、育児相談やDV相談を受け付けたり、医療相談や子育て相談を受けられるように看護師さんが常駐するようなサービスを、貧困地域のコミュニティセンターでおこなったり、巡回することで始めたのです。
 2003年にEvery Child Matters(ECM)というプログラムが始まりました。このきっかけになったのは、2000年に起きたビクトリア・クリンビーという8歳の女の子が虐待されて殺害されるという悲惨な事件でした。コートジボワール出身の移民の子どもだったんですが、行政や警察や病院、ソーシャルワーカーも虐待されている事実を知って、介入していたんですが、結局は最悪の結果になりました。この事件をきっかけに政府は幼児教育改革に本気で取り組みはじめました。

猪熊 Every Child Mattersは「すべての子どもが大事」、という意味ですね。

ブレイディ ECMには5つの指針がありまして、「健康であること」「安全であること」「楽しみ、達成すること」「積極的な貢献をすること」「経済的な安定を得ること」を目標にしています。そのほかにも、子どもの命が危険になる前に介入をおこなうこと、諸機関の連携の強化などさまざまな提言をしています。
 ECMの一環としてチルドレンズセンターがつくられました。これまで地方行政の建物で別々におこなっていたシュアスタートのプログラムを一括でおこなうための施設です。貧しい地域に住む子どもや家庭を支援する中心的な役割を担っています。周辺の個人や保育園におもちゃを貸し出したり、また、そういうところで働くと保育士に箔がついたので、優秀な保育士が集まりました。
 2004年には1989年に成立したチルドレン・アクト(Children Act)という法律を改正して、地方自治体が就業前の子どもたちの発育の底上げに協力しなければならないこと、親が働いている家庭の子どものケアを保障しなければならないことを打ち出しました。
 2006年にはチャイルドケア・アクト(Childcare Act)という法をつくり、EYFS(Early Years Foundation Stage)と呼ばれる幼児教育のバイブルができました。法的なフレームワークと教育カリキュラムのふたつに分かれています。私たち保育士は印刷された大きな本を持たされて、勉強しなければならない。オフステッドに登録している子どもにたずさわる集団や個人すべてがEYFSに従っています。
 法令部分には「すべての子どもは、人生の始まりにおいて最高のスタートを保証されなければならないし、また、自分の潜在的な能力を実現できるサポートも保証されなければならない」と書かれています。もうひとつ書かれているのが、「親がきちんと子どもを育てることと高い水準の幼児教育のふたつが、子どもたちの能力や才能を最大限活用することを必要としてる子どもに基礎となる部分を与える」。だから、地方行政はすべての子どもを保育施設に通える環境を保証しないといけないし、設定された目標が達成できるようにサポートしなければいけない。カリキュラムには、具体的に教育格差を縮めるために、5カ月、1歳、2歳までと年齢に分けて目標を定めています。
 たとえば、エモーショナルインテリジェンスの部分では、生後11カ月までに「自分に注意を引こうとし、認めてもらおうとする」「感情的欲求が満たされると満足を表す」、8カ月から20カ月までに「キーワーカー(担当保育士)と健康的な関係を築き、キーワーカーがいると安心する」「暖かで親密な関係を築いている人びとには自分の感情を表現できる」、16カ月から26カ月には「大人が安全を保証している環境のなかで、より困難なチャレンジを選択できるようになる」「自分の能力に自信を持つようになる」といった目標があります。
 言葉の発達の部分では、生後11カ月までに「泣いたり、のどを鳴らしたり、キーキー声を出したり、さまざま方法でコミュニケーションを取る」「他者との交流のなかで自分の声を出す」、16カ月から26カ月で「ひとつからふたつの単語を用いてメッセージを伝えることができる」「単純なセンテンスを理解できる」ようになり、30カ月から50カ月には「ときにはジェスチャーを使いながら、シンプルな文章で話す」「自分の意図することがうまく伝わるようにイントネーションやリズム、フレーズを使って喋る」みたいな目標が定められています。保育士はその目標が達成できるように、それぞれの子どもの発育度を細かく記録し、計画をたてて発育を促していきます。
 これがブレアがおこなった一連の幼児教育改革ですね。

猪熊 保育が国の根幹に関わるとわかって大変革を起こしたのはすごいことですね。そういう意味では日本は世界から10数年も遅れてしまっていると思います。たとえば、この待機児童の問題。日本では、子どもが保育を受けるための法的な根拠がないんですね。唯一あるのは、児童福祉法の第24条の第1項。そこには、地方自治体に対する保育の実施義務が書かれています。「市町村は、この法律及び子ども・子育て支援法の定めるところにより、保護者の労働又は疾病その他の事由により、その監護すべき乳児、幼児その他の児童について保育を必要とする場合において、次項に定めるところによるほか、当該児童を保育所〔…〕において保育しなければならない」とあります。
 最初にこの法律ができたときには、保育園の入所はいわゆる福祉の「措置」で、「保育が必要な子ども」は自治体の責任で保育所に入所させなければならなかったんです。ところがその「措置」がなくなり、20年前の改正では親が自治体に申し込んだ場合に自治体が責任を持って保育所に入所させなければならないと変わりました。保育の実施責任、といっても、破っても自治体には何の罰則もありません。本来ならば、第24条があることで子どもが受ける保育に不平等があることは許されないはずです。子ども全員が希望する認可保育園に入って、同じ教育を受けられるよう、自治体が義務を果たさなければならない。
 ところが実際には保育園が足りず、自治体の実施義務を守れない状況が続いているので、前篇で紹介したような認可外の保育園に入らなくてはならない子どもたちも大勢います。日差しもささない、園庭もない元コンビニ保育園に預けられている子どもと、きちんと園庭があって毎日たっぷり遊べる子どもとでは、発育にも差が出ます。その格差をどうしてくれるのか。

ブレイディ 絶対に差が出てきますね。

猪熊 保育事故の問題もひどいです。同じ経営者が名前を変えて保育所を次々運営して、3人も死なせてしまったところさえあります。そういう保育施設はイギリスでは、お取りつぶしの退場システムがあるからありえないはず。だから、日本もイギリスのようなオフステッドのような教育監査機関をつくり、すべての保育園を登録させたほうがいい。そして、保育園も幼稚園も共通のEYFSのような法的なフレームワークとカリキュラムを定めた全国的に統一したものをつくるべきだと思います。
 統一された教育カリキュラムがあれば、親が安心できます。たとえば、日本では「早期教育」がテレビにも取り上げられるほど話題になっているんですが、イギリスではこういうものはありますか?

ブレイディ オルナタティブ教育としてなら、あると思います。

猪熊 「早期教育」といって、「フラッシュカード」で記憶力をアップさせたり、高い跳び箱を飛べたりすることを目標にするような。ほかにはiPadを園児全員に渡して、それを使ってお絵かきや文字の練習をしたりとか。でも、なかには運動ができない子や、勉強が苦手な子もいますから、そういうつめこみ、教えこみの「教育」ばかりやってる園では登園しづらくなる子どももいると思うんです。

ブレイディ そうですね。英語とか跳び箱とかそういう突飛なことでなくて、人間の根本をつくるような教育が重要ですよね。EFYSはその部分を伸ばすためにつくられたカリキュラムです。

猪熊 日本には、幼稚園には「幼稚園教育要領」、保育園には「保育所保育指針」というものがあって、その「ねらい」は統一されていますが、細かいカリキュラムとして統一されているわけではないので、現状では幼児教育は、幼稚園や保育園、それぞれの園ごとの裁量に任されています。
 だから、早期教育的なことや、鼓笛隊を必死でやる園もあります。認可保育園でもけっこうバラバラで、保育園の考え方や現場の先生の熱意ですごく変わってきています。取材した保育園でも水槽に亀や魚を飼っていましたが、生き物を飼う予算が取れない園も多くて、実は現場の保育園の先生の趣味で、自腹を切っていることも少なくありません。
 おもちゃにこだわってお金をかけている保育園では、カプラという木製のブロックやネフスピールというスイス製のカラフルなブロックを使っているところもあります。とくに私立だと園長先生の方針で高価な上質のおもちゃを買いそろえていたり。そのいっぽうで、ガードや靴入れ、赤ちゃんのガラガラまで牛乳パックを使っている保育園もある。
 絵を描かせるために特別な絵の具を使っている保育園もあれば、壁が汚れるのを嫌って絵の具を使わせなかったり、ミスコピーなどの要らない紙の裏側に絵を描かせている保育園もある。そういう「保育材料」にかけるお金を節約して折り紙の数は1日5枚までと決めていたり、一度折った折り紙を開いて、アイロンをかけて再利用している園さえあったりする。本当にバラバラなんです。

ブレイディ ただ、イギリスでも保守党政権に代わって、チルドレンズ・センターは真っ先に緊縮財政で閉鎖されていって、EYFSのカリキュラムもどんどんゆるいものに変わってしまっているんです。労働党から保守党に政権交代してすべてが変わりました。あの素晴らしい幼児教育改革は何だったんだっていうぐらい悲しい状況になってきている。
 そこら辺は『月刊みすず』の連載(「子どもたちの階級闘争」)で書いているんですが、たとえば私が手伝っている慈善センターの託児所は、チルドレンズ・センターの網からも漏れてしまうような、すでにソーシャルワーカーが介入していて、福祉に子どもを取り上げられる可能性のある家庭やホームレス状態の家族、依存症からリカバリー中の方の家庭などの子どもを無料で預かる場所でした。が、緊縮財政でうちのような団体に行政から補助金が入らなくなり、現在は週に2日しか開けることができません。労働党政権時代にはあれほど活気のあった託児所が、閉所寸前です。

『ザ・レフト UK左翼セレブ列伝』
ブレイディみかこ
『ザ・レフト UK左翼セレブ列伝』
Pヴァイン 、2014年

 非常に困窮している家庭におもちゃや絵本や食料を持って保育士が巡回するサービスもやってたんですけど、もう資金がなくてそれもできない。いまも運営されているチルドレンズ・センターでも保育所部門を含む一部のサービスをやめたところが多い。
 私が手伝っている託児所もむかしはチルドレンズ・センターからおもちゃを無料でレンタルしてましたけど、近所のセンターがそのサービスをやめてしまったんで、教会とか近所で寄付を募って、それでも足りなきゃ、けっこう新しいものが捨ててある富裕層の通りに行っておもちゃを拾って来て殺菌消毒したりして……。何でも緊縮財政のせいにするなというひともいますが、やっぱり緊縮財政のせいだと思います。保守党政権は保育士配置基準も改悪しようとしていますし、これから英国でもいろんなことが問題になると思います。

猪熊 大変な状態なんですね……。ブレアの時代に始めた幼児教育改革の優れた点は、子どもの権利の法的な根拠をつくったことでしょう。日本は義務教育が始まる6歳以前には、何の権利もないんですね。これは主要先進国のなかでは日本だけです。
 少し古いものですが、これは就学前の教育と権利と保育料の負担についての資料です。

 イギリスは3歳から無料の保育制度があり、4歳から義務教育があります。日本は0歳から5歳まで教育を受ける法的権利がないし、保育園に入れば補助金は出るけれども、必ず保育を受けられるわけではない。まずは法的な権利として明示することが大事です。
 ドイツも2013年に「児童・青少年扶助法」という法律を改正しました。それまでは3歳以上6歳未満の子どもに「保育所に居場所を得る権利」が認められ、保障されていたのですが、それが1歳からに拡大された。すると、1歳児を預けるための保育園が足りなくなって、前篇でお話したコンテナ保育園をつくり、待機児童を解消しようとしました。
 日本でも義務教育である小学校に入れない子はまずいないでしょう。だから、保育園も義務教育のように「子どもの権利」にすれば、行政は絶対に無視できないし、必ず保育を受けられるようにする必要が出てくる。

保育士は自分のすべてを持っていく仕事

ブレイディ  日本は保育にお金をかけていないし、システムもつくってないし、法律もつくっていない、ということですね。
 まず考え方から変えなきゃダメですね。保育士は、単に子どもの世話をするひとじゃない。もちろん、子どもにオムツを変えたり、ご飯食べさせることも、すごい技術が必要なんですが、それプラス「教育」もしているんです。子どもをどう遊ばせれば、どの能力が伸びるのか、考えながら、保育計画をたてています。保育士はもっとリスペクトされるべきですし、もっとお金をもらえるべきです。

猪熊 本当にそうですね。

ブレイディ イギリスでは、保育士は「自分のすべてを持っていく仕事」だってよくいわれるんですよね。絵を描く能力もいるし、音楽を演奏する技術もいる。絵本を読み聞かせるときには読解力はいるし、走り回る身体的な能力もいる。自分のすべてをいかす仕事です。だから、保育士はクールな仕事だと思っています。
 ただ、やっぱり現場の人数が少なかったり、時間がなければ、自由な教育もできない。子どもたちは失敗することで学んでいって自分で物事を決められる人間になるのに、安全に失敗させられないじゃないですか。イギリスの子どもを見ているので、日本の保育は変わってほしいな、と思いますね。

猪熊 少子化対策のため、2025年までに「希望出生率1.8」に引き上げることを安倍政権が掲げていますが、その実現のために、伝統的な家族の3 世帯同居を推進しようとしています。しかもそのターゲットが低学歴・低所得の地方在住の女性、と書かれているんですね。要は家族内、とくに女性が子どもを産み、育てて、介護もしろ、ってことですよね。子どもたちの教育の質はどう担保するんですかね。「一億総活躍」といっていますが、どう活躍しろ、と?と、私は本当に怒りを覚えました。「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログにも「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。」って書かれていましたけど、みんな同じことを思っていたんですよ。

ブレイディ とんでもないですね。
 先日、取材でお坊さんに会ったときにですね、「このままいくと、日本人という民族は絶滅しますよね。子ども産んでないし、お年寄りばっかりですし」って話をしたら、お坊さんに「いや我々の世界は諸行無常だからそれでもいいと思います」といわれました(笑)。

猪熊 まぁ、お坊さんでも、保育園の園長先生をしている方ならそうは思ってないでしょうけどね(笑)。日本にもイギリスのような力強い乳幼児教育改革が必要なんですよ。お父さんお母さんも、夜働かなければいけないひともいるし、非正規労働の方もすごく多い。子どもの貧困も広がっている。保育園が足りないせいで、子どもを産みたくても産めないひともたくさんいる。
 日本では福祉国家のモデルとして北欧がよくあげられますが、日本とは社会システムがまったく違うんですね。産休も1年、2年間は取れるし、働き方がまったく違う。スウェーデンの研究者に「月60時間も残業しているって理解できない」っていわれたことがありますから。その意味ではネオリベで、市場化されているけれど、きちんと従わないひとは入れないルールをつくっているイギリスの幼児教育改革には、日本は見習うべきことがたくさんあると思います。

著者プロフィール(ブレイディみかこ猪熊弘子

猪熊弘子 ジャーナリスト、東京都市大学客員准教授。著作に『「子育て」という政治』(角川SSC新書)『死を招いた保育』(ひとなる書房)、『命を預かる保育者の子どもを守る防災BOOK』(学研教育出版)、『なんで子供を殺すの?』(講談社)など。翻訳書に『ムハマド・ユヌス自伝』『貧困のない世界を創る』(いずれも早川書房)などがある。

ブレイディみかこ 1991年よりイギリス・ブライトンに在住。保育士、ライター。著作に『花の命はノー・フューチャー』(碧天舎)、『アナキズム・イン・ザUK』『ザ・レフト――UK左翼セレブ列伝』(いずれもPヴァイン)。Yahooニュース!の連載などをまとめた『ヨーロッパ・コーリング――地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)を6月に予定。ほか月刊『みすず』で「子どもたちの階級闘争」を連載。

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