【寄稿】連載第2回:柳田國男で読む主権者教育

【寄稿】 連載第2回:柳田國男で読む主権者教育 『郷土生活の研究法』を読む/内省する社会

  • 2017.02.10

柳田國男『郷土生活の研究法』
柳田國男『郷土生活の研究法』
岩波文庫
大塚英志『感情化する社会』
大塚英志『感情化する社会』
太田出版

 さて、この文章が描かれた背景の一つに普通選挙の施行があることは触れたが、もう一点、注意すべき歴史的文脈が以下に示されている。読者には面倒な手続きだが、柳田の文章はそれが書かれた文脈を踏まえることでその意味するところが見えてくるのだ。

その郷土研究の目的は果して何であるか。それを実行することが、果して今日の更正運動に、ただちになんらかの便益をもたらすとでもいうので、そのように急務を叫ばれるのであるか。別の言葉で言うと、こういう国家多事の際にも、なおかつお互いの努力の一半を、これに向って割(さ)くだけのねうちがあるかどうか。という疑問もまた諸君の胸のうちに、必ず去来していることと思う。私などは実は最初から、そういう熱さましが熱をさましたり、酒が飲む人の顔を真赤にしたりするような、速攻のあるものとは考えもせず、また請け合ったこともなかった。
(柳田國男「郷土生活の研究法」『柳田國男全集28』1990年、筑摩書房)

 ここで言う「今日の更正運動」とは、昭和7年に始まる「農山漁村経済更正運動」である。これは昭和4年10月の世界恐慌に端を発し、市場経済に組み込まれた農村は生系や米価の暴落に襲われる。更に昭和5年の「豊作飢饉」、つまり生産過剰による農産物の価格の下落が置き、昭和6年には反対に凶作、と連鎖し、地方経済は破綻する。明治期、柳田が説いた小作農の自立支援政策を怠ったつけが一緒に露呈し、まさに「社会問題」化した、と言っていい事態だった。
 それに対して政府は当初は「時局匤救事業予算」なる、公共事業系のバラマキをするが、予算が尽き、そこで打ち出したのが「農山漁村経済更正運動」、つまり

農村部落ニ於ケル固有ノ美風タル隣保共助ノ精神ヲ活用シ其ノ経済生活ノ上ニ之ヲ徹底セシメ以テ農山漁村二於ケル産業及経済ノ計画的組織的刷新ヲ企図セザルベカラズ
(「農山漁村経済更正計画ニ関スル件」の農林省訓令、1932年〈昭和7年〉8月)

という政策であった。
 農村の固有の「隣保共助ノ」「美風」、地域や家族で互いに助けあう美風で社会問題を解決しなさい、というまるで現在のこの国の与党を連想させる政策を打ち出したのである。そしてこの「美風」による「更生」の単位として浮上したのが「郷土」だった。
 だからこの「序」には以下のような但し書きが付されている。

この講演の聴衆は、主として地方の教育者、または指導階級の人々であった。しかし将来この学問の内において直接にこの研究に携わろうとする者には、この対外的解説的語調が、かえってまた一種別様の印象を与えることと信ずる。ゆえにこれをもって序文に代える。
(柳田國男「郷土生活の研究法」『柳田國男全集28』1990年、筑摩書房)

 つまり、この講演は「更正運動」という国策の地方における施政者である人々に向けて行ったものだとわかる。だから柳田は自分の学問が「更正運動に、ただちになんらかの便益をもたらす」ものでない、つまり、国策と一線を画すという。その一方、「今日のごとき時世のために、この学問をもってあらかじめ備えよ」と散々言ってきたぞ、とも説くのだ。
 「美風」、つまり精神論での「社会問題」の解決は「社会政策」ではない。それが柳田の主張である。
 この時点で「郷土」の「美風」の発掘のため、伝説集などの刊行など、一見、民俗学に近い機運が起こるが、「美風」による問題解決として「更正運動」が実際に熱心に行なったのは、神社の清掃運動であったり、精神面に傾斜したものが多かった。これは、「更正運動」が「社会科学」ではなかったからである。
 だから柳田は、目の前にある「社会問題」を「郷土」の「美風」でなく、まず「社会」問題として認識しうる「社会」を農村に構築しようとした。「日本」でなく「社会」をつくろうとした。
 講演の聴衆とは異なる人々に向けたものとしてこの「序」を掲げる、と柳田らしい婉曲な物の言い方を欠かさないが、郷土研究という「社会」をつくる学問の主体は、その時点での教育者や指導者ではない。
「平民」である。

郷土研究の第一義は、手短かに言うならば平民の過去を知ることである。社会現前の実生活に横たわる疑問で、これまでいろいろと試みていまだ釈(と)き得たりと思われぬものを、この方面の知識によって、もしやある程度までは理解することができはしないかという、まったく新らしい一つの試みである。平民の今までに通って来た路を知るということは、我々平民から言えば自ら知ることであり、すなわち反省である。
(柳田國男「郷土生活の研究法」『柳田國男全集28』1990年、筑摩書房)

 この時、柳田が「我々平民」という言い方をしていることは注意しよう。「我々国民」、「我々日本人」でなく、「我々平民」と柳田が言う時、柳田の考える「我々」という「主体」が少なくとも国家と一体でないことがわかる。
 そしてこの「平民」という「我々」は自分たちの歴史を「自ら知る」主体であり、柳田は自ら知る行為を「すなわち反省」と言う。このように「我々平民」とは、「反省」する「われわれ」として柳田によって定義される。それは「空想青年」によって社会問題を説かれる、いわば受け身の平民ではない。
 だから柳田はこの「自ら知る」という行為に対して、なされるであろう冷笑に、あらかじめこう釘を刺しておくことも忘れない。

彼等の正直な質問に対しては、二通りの冷笑が今まではあった。その一つは「あたりまえじゃないか」。ちっとも当り前でない不審までも、答えられないとそういって撃退する。第二はもう少しばかり同情のある冷笑で、「世の中はそんなものなのだ」といって、しかもなぜそんなものなのかを説明せぬのである。
(柳田國男「郷土生活の研究法」『柳田國男全集28』1990年、筑摩書房)

 このように「知る」ことへの怠惰を柳田は常に戒める。自らが怠惰であろうとするものはしばしば他人の知ろうとする欲求を諦念させようと水を差す。それは今も昔も変わらないし、こういう「冷笑」や「そんなものだ」という、考えないことへの同調圧力は昔も今もとても強い。それがいわゆる反知性主義を生みもする。
 だが、柳田はそれを拒む。こういった態度が、柳田の思想が、今、好まれない理由なのかもしれない、と思いもする。しかし、柳田は言う。

つまり平民史の攻究は、平民の強い自然の要求であり、いつかは与えずにおられぬ学問である。たとえ現在はまだ見当が付かなくとも、何とでもして方法を立てて、これを求め得られるようにしなければならぬ。
(柳田國男「郷土生活の研究法」『柳田國男全集28』1990年、筑摩書房)

 「平民の攻究」、つまり「平民が内省し、自ら知る」欲求は「自然の欲求」、これはゾラ的に言えば殆ど種としての欲求と実は同義である。そう柳田は言い切る。

 このように柳田は「郷土研究」を「平民」の「反省」の主体として定義した。この時期、郷土は「美風」という精神の拠り所としての集団として、国策下で再定義されつつあることは述べた。ナショナリズムが「国家」という見えにくく実感しにくい「我々」でなく、「郷土」という眼前で実感できる単位を強調することで「郷土愛」から「愛国心」への接続が制度設計されるのがこの時代である。
 その時、「郷土」を内省する「我々」として定義しようとしたのが柳田の学問だとわかる。

著者プロフィール(大塚英志

大塚英志(おおつかえいじ)1958年生まれ。まんが原作者、批評家。最新刊『感情化する社会』。本書は韓国での翻訳出版が決定。本書に関わるまんが原作としては、山口二矢、三島由紀夫、大江健三郎らをモチーフとした偽史的作品『クウデタア2』、本書に関連する批評として、『物語消費論』『サブカルチャー文学論』『少女たちの「かわいい」天皇』『キャラクター小説の作り方』『更新期の文学』『公民の民俗学』などがある。

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