【寄稿】 連載第5回:柳田國男で読む主権者教育 『北小浦民俗誌』を読む/柳田國男はなぜSNS型データベースを作ったか
- 2018.04.13
『北小浦民俗誌』を読む/柳田國男はなぜSNS型データベースを作ったか
今回は「歴史とは何か」について考えましょう。手がかりはいつものように柳田國男です。
しかし、その前に私たちが何と無く考えている「歴史」とはどのような姿をしているか確かめておきましょう。
この章を書いている現在、世の中では、公文書の「改竄(かいざん)」が問題となっています。
何故、公文書の「改竄」が問題なのか。その理由は明確で「歴史」というのは「公文書」に基づくものだからです。歴史学が基礎資料とするのは、それぞれの時代に書かれた為政者たちの公の記録です。歴史の資料というと教科書などに「崩し字」の文書の写真が載っているのをイメージする人もいるでしょうが、あれが大抵の場合、その時代時代の「公文書」です。つまり、歴史学とは公文書に書かれていることを根拠に歴史を再現していく学問です。
ですから、公文書を「改竄」したり、消去したりすることは大袈裟でなく「歴史」を改竄することになります。当然それは許されないことですが、為政者が自分に都合のいい公文書を残すことへの危惧を、公文書を改竄し、歴史を書き換える公務員の姿としてジョージ・オーウェルの『一九八四年』は描きました。この小説は監視社会の到来を警告した小説として描かれますが、2018年春のこの国の現在の姿が寓話というよりはいささかリアルに描かれている印象です。(参照 大塚英志「平成30年論」連載第2回 - ジセダイ)
もちろん公文書のみが歴史の材料ではありません。そもそもこのような「公文書」による歴史には不備がある、というところから説き起こされるのが柳田國男の学問だということはよく知られます。
柳田國男にとって文書資料に書いた当事者の都合が入ることは自明のことでした。
しかし何れにしても書いた動機は多かれ少なかれ自己本位で、その極端な例は贋系図贋証文から、中位な所では寺々の縁起、諸道の由緒書の類まで、少くとも自分に不都合な事実を書きおいたものはない。隠すのをまた当然の所業としていたのである。私たちはこれらを仮りに計画記録と名づけて居るが、その心情の高尚と下劣とを差等付けないとすると、中古以前の歴史はことごとく皆この計画記録の伝達管理の外には出なかったのである。
(柳田國男『郷土生活の研究法』、昭和10年、刀江書院)
「計画記録」という言い方の中にいささかの皮肉が込められているのは言うまでもありません。何しろ、柳田國男自身が明治国家の官僚の一人として「公文書」の作成を生業とした人ですから、そこに「不都合な事実」が書かれるはずはないと言い切っていることに妙な説得力があります。
しかし、柳田が「計画記録」である公文書に不備があるではと考えるのは、改竄・隠蔽以上に、そこに描かれて内容が「偏在」しているからです。「偏在」とは、政治的な偏りのことではありません。
「偏在」は三つあって、一つには記録が中央政府によってなされるため、地方、特に人々の生活単位としてのより小さなまとまりの記録が残りにくい、ということです。
郷土史が国の歴史を攷定する方法と、全然別な方法を必要とする仔細はだんだんあるが、その中でも最も明白なる一つの事実は、郷土には国の歴史を調べる場合に唯一の頼りとしている文書史料が、甚だ乏しくまた不完全であるということである。最近二十年ほどの間に出来た郷土史は、その多数が郡誌であったが、そのいづれの一巻をみても直ぐに判るのは、郡を一団としても、旧記証文の類の役に立って居るものが既に少い上に個々の町村、さらにその一部をなす一つ一つの部落に至っては、丸きり何一つ筆の跡を留めないものがいたって多い。
(同)
つまり「計画記録」はあくまでも為政者、即ち「国家」の歴史の為に存在するものです。もちろん、江戸時代なら藩などの公文書や徴税についてはもっと小さな行政単位の文書記録も残りますが、それを含め、いかに為政者が統治したか、という記録という点でやはり、「国家」の歴史の一部なのです。
柳田は問題とする「偏在」はあと二つあります。
一つは記録が「著名なる人物」に偏ることです。
今までの歴史なるものには、永い間の癖ともいうべきものがつきまとうていた。その一つは甚だしく伝記的に傾いていたことであった。ある一人の特に著名なる人物の、ある年のある月日における行為または言説を、書いて残すことに力を入れていた。たとえば歴史には必ず尊氏とか清盛とかいう中心の人物がなければならぬという心持があった。今一つは年代記、すなわち何年の何月何日には、どういう大事件が起ったということの、連続が歴史の全部であるとする考えであった。
(同)
「歴史上の人物」であるとか「歴史に名を残す」、という言い方があるように、歴史は「偉人」や「英雄」の所為によって作られるという考え方に記録そのものが基づいている、という批判です。高校の歴史教科書で扱う歴史用語のリスト案に坂本龍馬が入っていないということが報じられると批判が殺到し、結局リストに残されるという「騒動」がありました。龍馬が教科書から消えることに違和を感じた人々は、やはり偉人がつくるものが歴史である、と暗黙のうちに信じていると言えます。「歴女」と呼ばれる歴史ファンが実際にはキャラクターとしての「偉人」のファンであることも同様です。
もう一つ柳田が問題とする文書の「偏在」は、記録が「異常事件」に集中することです。
異常事件と記録 人が必ずしも不吉な出来事ばかりに精確であったのではなく、こういう問題だけが読み得る人に見せる必要があり、また口上だけでは済まぬ故に、詳しく筆記して且つ無制限に保存せられる理由があったのである。徳川三百年の間に一度しか起らず、村によってはまるまる起らなかった百姓騒動の如きは、大事件だったに相異はないが、ただ単に大事件だから書いて残すという以上に、これにたずさわった代官や村役人などの、特に自己の立場を公辺に明らかにしようとする動機が、細か過ぎるほどの文書を作成せしめたので、いわばその当時の人心の動揺興奮を、窺わしめる資料というに過ぎなかった。
(同)
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