スペシャル
1969年のデビュー以来、常に私たちの心に静かな革命を起こし続けているマンガ界の偉大な女神、山岸凉子さんと萩尾望都さん。ふたりの初対談が、現在発売中の『Otome continue vol.6』にてついに実現。2万字を超すロング対談より、一部抜粋してお届けします!
萩尾望都が“読む”、山岸凉子
―――萩尾さんは、最初に読んだ山岸作品は?
萩尾 『りぼんコミック』時代は、ずっと読んでいたのですよ。愛読者で。最初というと「レフトアンドライト」です。でも、あとで気が付いたの。単行本に載ってるのを見て、「あれ? 前読んだなあ」って。なんか、「春には青い芽が…」が初めて読んだ山岸作品だと、ずっと勘違いしていました。『りぼんコミック』から、『りぼん』に移られたでしょう? 『りぼんコミック』が廃刊になってしまって。『りぼん』に移られたあと少しして、絵が変わって、初めに描かれたのが――ええと、あれは……あ~、記憶が。「雨とコスモス」のちょっと前くらいなんですよ。ええと、バスに乗り遅れないように、なんとかかんとかするという、『りぼん』に移ってすぐの連載を描いてらした。3回か4回連載の学園もの。
山岸 「ハロー・エブリボディ」?
萩尾 あ、そうかな。そこまではまだ可愛らしい絵柄で。
山岸 そうそう。
萩尾 「雨とコスモス」でがらっと絵柄が変わった。
山岸 変えた(笑)。「野獣のような顔」って、非常に不評で(笑)。
萩尾 そのとき初めて、アシスタントに行ったら、山岸さんが「多分これで読者が、汐が引くように引いていくだろう」って、言ってました(笑)。
山岸 言ってました? うー、わかってたんだ。
萩尾 元々こういった絵柄のものを描いていたんだけど、可愛い絵柄でデビューした理由とか、それからいまこの絵柄に戻した理由とか、随分聞いて。
―――どんなお話ですか。
萩尾 いいんでしょうか、言っちゃっても。
山岸 わかんない、どんなでしたっけ(笑)。
萩尾 可愛い丸顔じゃないと、編集さんは絶対OKじゃなくて。いま現在はちょっと顔が長くても構わないけど、当時はとにかく、男の子も女の子も丸い顔でっていう感じだったので。なので、「どうしてもデビューしたいんだったら、丸い顔で」って言われて、それならもう、その覚悟でって、丸い顔で始められたと。だから、元々本来の絵柄はあの長い顔のほうで、それで戻したんだって。
山岸 非常に不評だったです。
萩尾 でも「アラベスク」には似合った絵柄でしたね。ノンナは可愛いし、ミロノフ先生はかっこいいし。違和感なかったんですけど?
山岸 不評だったんで、ここまで野獣にしてはいけないと。少しは手心を加えましたけど、結局元の絵に戻しました(笑)。「雨とコスモス」は、ちょっと鼻の横に影を描きすぎた
んですね、それが嫌がられてしまい。
―――じゃあ、少女マンガとその野獣のような絵柄とが融合した形で「アラベスク」を描いたらうまくいったのですね。
萩尾 すごく新鮮でした。あの、「春には青い芽が……」というのはすごく覚えてるんです。印象深い作品でしたから。
山岸 ええっ(笑)? 作者より覚えてるかもしれない、私が忘れ去った作品を。
―――どんな印象でしたか?
萩尾 人間心理を深く描いてあるなって、夢中でくりかえし読んでいましたよ。心理を突き詰めて、わりと深いところまで持っていくっていう作品は、ちょっと珍しかった。
山岸 ありがとうございます。萩尾さんにそんなふうに言って頂けるなんて。
萩尾 あの、私、手塚先生の作品に接したときも、人間心理をここまで描けるんだ、って思ったし、山岸先生の作品を読んだときも、人間心理をここまで描けるんだ、って……。ちょっと、山岸節を、ぶちます。すみません、もう、山岸さんのすごいところは(……)。
※
というわけで、まだまだ終わらない史上最強の初対談。お話は“予知夢”や“怖い話”、はたまた『残酷な神が支配する』や『テレプシコーラ』幻の第3部(!)へと流れていき……。この続きは現在発売中の『Otome continue』vol.6でお楽しみください!
〈プロフィール〉
- 萩尾望都
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1949年福岡県出身。69年「ルルとミミ」でデビュー。少女マンガの表現を大きく発展させた。代表作「ポーの一族」 「トーマの心臓」 「11人いる!」 「残酷な神が支配する」 「バルバラ異界」ほか多数。『月刊フラワーズ』で「シリーズ・ここではないどこか」を不定期連載中。
- 山岸凉子
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1947年北海道出身。69年「レフトアンドライト」でデビュー。心理描写と表現力に高い評価を得る。代表作は「アラベスク」 「妖精王」 「日出処の天子」 「舞姫 テレプシコーラ」ほか。恐怖・怪奇幻想作品も多数。『ダ・ヴィンチ』で「ケサラン・パサラン」連載中。