スペシャル
ニコルソンの実家は、宮城県の山元町。東日本大震災のあの日、この町は未曾有の大津波に襲われました。「ぽこぽこ」にて実家再建エッセイを連載中のニコさんに、山元町のことやニコ家のことを伺ってきました。山元町の取材レポートと一緒にどうぞ。
ニコさんの実家、山元町
- ▼山元町レポート
- ガレキの片付けをするボランティアの方々の姿が。
- ニコ家の最寄り駅だった山下駅は山側への移転が決まり、がらんとしています。柱や電信柱が歪んだままになっていたり、復興に関する意見看板とボランティアさんの寄せ書きがごっちゃに立ち並んでいたり、ちょっと『ドラゴンヘッド』を思わせる廃墟感です。
- ニコ家のあたりはまだ電気が復旧しておらず、日が落ちる前にと特急で拝見しました。海側の壁が壊れ、ビニールシートで覆われています。家の正面側は、サンルームが盾になったため比較的きれい。2階もそのまま残っています。
―――山元町って、どんなところですか?
ニコ 山元町は、漁業が盛んな町です。うちから車でちょっと行くと港があって、ホッキ貝をとったり、魚を釣ったり。「ホッキ飯」っていう炊き込みご飯みたいなのが有名です。うちの近くでは苺のハウス栽培をやっていました。苺は買わずに食べるものでしたね。形がオバケみたいになったやつとかをもらって。
―――ニコさんは、山元町にどれくらい住んでいらしたんですか?
ニコ 山元町に引っ越したのは、小学校4年生の時です。それまでは川崎(神奈川県)に住んでいたんですが、体が弱かったので9ヶ月くらい入院して、空気の良い宮城に越してきたんです。山元町は婆ルが生まれ育った町です。田舎暮らしもいいんじゃないかって、私と母ルが一緒についていきました。
―――最初に山元町に降り立った時のこと、覚えていますか?
ニコ ……ニワトリのにおいがしました。それと、トラクターが公道を走ってるのを初めて見ました。二度見ですよ。ニワトリって、ほんとに朝決まった時間に鳴くんですよ。目覚まし時計みたいに「コケコッコー」で起きる生活でした。隣の家のおばちゃんが飼ってたんです。いつかは食べるんですけど。あとは、知らないおじいちゃんが勝手に家に入って勝手にお茶飲んでたり、あけっぴろげなところです。
―――山元町に住んでいた時の、一番の思い出はなんですか?
ニコ やっぱり海ですね。よく海に遊びに行ってたんですよ、近いから。4、5人の友達とチャリで初日の出を見に行ったり、冬の海で鼻水垂らしながら波に削られて丸くなったガラス拾ったり、手前の林でキノコとったり……。
――ほのぼのしてますね。
ニコ あー、思い出した。小学校の時に友人がすごいイジメにあってて、私もなんだかんだでビビリのヒキョー者でイジメは怖かったので、シカトとか怖かったので……。海にこっそりその子と行って、「クラスでは話せないけど、本当は親友だ」みたいなこと言って……持っていった弁当代わりのツナ缶2人で食べて、「証だ!」とか言ってビー玉を渡して……。「私はいつかマンガ家になる! なってお前をいじめた奴を本名で悪役で出す!」「ニコ!!」ガシッって抱き合って涙、みたいなのが……ありました(笑)。今描くか、描けるぞ(笑)。その子も今、仮設住まいで頑張ってます。
〈プロフィール〉
- ニコ・ニコルソン
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宮城県亘理郡山元町出身のマンガ家/イラストレーター。
宮城県の専門学校卒業後、「東京で就職が決まった」とうそをついて上京し、2008年に『上京さん』(ソニー・マガジンズ)でデビュー。著書に『ニコ・ニコルソンの漫画道場破り』(白泉社)、『ニコニコ妖画』(講談社)、『ニコ・ニコルソンのオトナ☆漫画』(エムオン)などがある。2013年3月11日発売の『ナガサレール イエタテール』(太田出版)は、東日本大震災で津波被害を受けた実家を再建するまでを描き、16回文化庁メディア芸術祭 審査委員会推薦作品に選ばれた。2017年3月発売の新刊『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、は、再建した家に新しい家族「ヌ太郎」を迎えたニコ家を描いた、注目の描き下ろしエッセイ。