スペシャル
ゼロ年代のインターネットから生まれた熱気とエネルギーをドキュメント、エモーショナルに描き切った話題沸騰のボーカロイド音楽史『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』の大ヒットを記念して、著者・柴那典さんが本書の読みどころを"音源"付きでご紹介! ニュー・オーダーの名曲「ブルー・マンデー」からryo(supercell)の「ODDS & ENDS」まで、もう読んだ人もこれから読む人も、本書に登場する名曲たちを爆音で聴きながらお楽しみください!!
第3章
デイジー・ベルからボーカロイドへ
× 『二〇〇一宇宙の旅』デイジー・ベル
× 冨田勲
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歌声だけが取り残されていた 078
最初に歌った言葉「あさ」 081
『二〇〇一年宇宙の旅』、死にゆくコンピュータの歌 085
モーグ博士と「パプペポ親父」 088
- 「デイジー・ベル」
- 冨田勲×初音ミク「イーハトーヴ」
この章では、キャラクターやムーブメントではなく、楽器としてのボーカロイド、ヤマハが開発した歌声合成技術「VOCALOID」の源流を辿ります。
取材に登場いただいたのは技術開発を担当した「ボーカロイドの父」ヤマハ株式会社の剣持秀紀氏。開発が始まったのは2000年のことで、最初のコードネームは「DAISY」。コンピューターが世界で初めて歌った曲「デイジー・ベル」に敬意を払ってつけられた名前でした。映画「二〇〇一年宇宙の旅」にも使われ有名なエピソードとなっているこの曲。YouTubeには当時の音声が残っています。
1961年、ベル研究所で巨大なコンピューターシステムが実際に歌ったのが、この曲でした。楽器としてのボーカロイドのルーツを遡ると、やはり60年代のアメリカに辿り着くわけなのです。
また、この章では音楽家がシンセサイザーを「歌わせた」元祖として、冨田勲氏にも登場いただきました。70年代、生まれたばかりのアナログシンセを駆使して『月の光』や『展覧会の絵』などの作品を世界的にヒットさせた日本が誇る電子音楽界の巨匠は、近年『イーハートーブ交響曲』でオーケストラと初音ミクとの共演を実現しています。インタヴューを通して、2つの挑戦に共通するものを読み解きます。
第4章
初音ミク誕生前夜
× 竹村延和
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最初のボーカロイドの反響は小さかった 098
声優・藤田咲を起用した理由 103
アンダーグラウンドシーンから開発者の道へ 106
初音ミク誕生の裏側にあった、竹村延和の一言 109
「同人音楽」という土壌 114
ニコニコ動画とMAD文化 118
- 竹村延和「Perch」
ヤマハが歌声合成技術「VOCALOID」を発表したのは2003年のこと。実は初音ミクの登場以前にも、様々なボーカロイド製品がリリースされていました。なぜそれ以前のソフトは現象を巻き起こすことができなかったのか、初音ミクは何が特別だったのか。その糸口を探るために、この章では00年代前半から2006年までの状況を探っていきます。
初音ミクの開発を担当した佐々木渉氏は2005年にクリプトン社に入社しています。それまでテクノやエレクトロニカ、アンダーグラウンドな音楽シーンに精通していた佐々木氏。当初はソフトウェアの開発よりも広くマニアックな音楽知識を活かした仕事が中心でした。
では、何故彼は初音ミクの開発者になったのでしょうか?
「もう時効だと思うので、書いてしまってかまわないです」と前置きして明かしてくれたのが、開発前夜のエピソード。佐々木氏が尊敬するミュージシャンだった竹村延和にまつわる話でした。
竹村延和は、90年代から00年代初頭の日本のエレクトロニカ・シーンを代表する音楽家の一人。2002年にリリースしたアルバム『10th』では、全編スピーチ・シンセサイザーを用いた人工の歌声による楽曲を制作しています。詳しくは本の中で書きましたが、彼から届いた一通のメールが佐々木氏を奮起させ、それが初音ミクの開発に繋がっていきます。
ある日突然「電子の歌姫」が誕生して、未曾有の現象を巻き起こしたわけではありません。初音ミク誕生の裏側には、ニューウェーヴ、テクノ、エレクトロニカという、日本の電子音楽の歴史の礎があったわけなのです。
第5章
「現象」は何故生まれたか
× ika-mo
× OSTER project
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二〇〇七年の「運命的なタイミング」 126
仕掛け人は誰もいなかった 133
「このビッグバンが、次の時代へのリファレンスになる」 138
- ika-mo「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」
- OSTER project「恋スルVOC@LOID」
「本当に奇跡に近い話だったと思います。今から振り返ると、あまりに出来過ぎだったという感じもしますね」
ボーカロイドの開発を担当した剣持秀紀氏は、初音ミクが発売された2007年夏というタイミングをこう振り返っています。ボーカロイドに携わる人に話を訊いていく中で、様々な人が口を揃えて語ったのが、2007年という年の持つ意味の大きさでした。2006年12月にニコニコ動画が誕生し、ユーザーが動画にツッコミを入れながら楽しむような文化が盛り上がりを見せていた中、2007年の夏に初音ミクが登場。最初に盛り上がったのは、ネギを振って踊るコミカルでユーモラスな動画。そして「電子の歌姫」が歌うキャラクターソングの数々でした。
なかでも代表曲として脚光を浴びたのが、ika-moによる「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」。
そして、OSTER projectが投稿した「恋スルVOC@LOID」。
キラキラしたシンセポップの曲調に、パッケージのイラストの一枚絵を用いた動画がこの頃の主流。「科学の限界を超えて私は来たんだよ」(みくみくにしてあげる♪【してやんよ】)、「私があなたのもとに来た日を どうかどうか忘れないでいて欲しいよ」(恋スルVOC@LOID)と、ミクがボカロPに語りかけるような歌詞の言葉が人気爆発のきっかけになりました。
〈プロフィール〉
- 柴那典
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しば・とものり。1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンで『ROCKIN’ON JAPAN』 『BUZZ』 『rockin’on』の編集に携わり、その後独立。雑誌、ウェブメディアなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー・記事執筆を手掛ける。主な執筆媒体は『ナタリー』 『Real sound』 『ミュージック・マガジン』 『クイック・ジャパン』 『CINRA』 『NEXUS』など。本書が初の単行本となる。
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