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*「ぽこぽこ」公開当時の記事を再掲載しました。

SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy-s――自由と民主主義のための学生緊急行動)による、いわゆる安全保障関連法案に警鐘を鳴らす抗議行動が、さまざまな世代のさまざまな思想の人々を巻き込み、大きな流れになっている。 7月11日、マンガ家の小林よしのり氏が自身のblogにアップした、「シールズとかいう若者にやや好感」というエントリーもその一端だろう。氏は一般的に右傾化の要因となったと評される『戦争論』シリーズの著者だが、現・安倍政権に対しては批判的だ。曰く、「シールズとかいう若者たちは、ちゃんと安保法制の中身を読んで議論してるのだな」「学生運動の時代より、おとなしい若者たちだが、知的である」。はたして、反・安保法制というシングルイシューの下で両者が出会った時、どんな対話が生まれるのか? 8月8日、初の対談が実現した。

奥田 ここで、今日、牛田が来なかった理由を補足しておきたいのですが、彼は『戦争論』だけでなく『卑怯者の島』(小学館、15年)なども読んで、「戦争のリアリティが分かってんのか?」という怒りを感じたみたいなんですね。

小林 ああ、わしに対してね。

――ちなみに、今日、欠席するにあたって牛田くんから送られてきたメールがあるんですよね?

奥田 そうですね。僕が代読するのも変なんですが、聞いていただけたらと思います。

小林 分かった。

奥田 読みます。「そもそも、〝日本〟という国家はヨーロッパ式の近代国家の枠組みの上で、ある種、フィクションとして、物語として形成されたものであり、そのヨーロッパ式のフィクションに基づいて〝愛国〟というものが成り立っている。では、そのヨーロッパ式の近代国家とは何か? それは、近代の立憲主義に基づく民主国家である。また、国家を構成する憲法(Constitution)の基礎となっているのは国民の憲法制定権力である。国家とは国民がつくるものであり、国家の本体は国民なのだ。そして、このように憲法を制定するのは、個々人の生の基盤を、自由で民主的な生活を守るためであり、そのためにこそ、国家というものがある」

「では、〝愛国〟とは何か? それは、憲法を遵守することである。なぜなら、憲法こそがフィクションとしての〝国家〟を形成しているからである。国のために、犠牲になる意志が〝愛国〟というのは自己矛盾である。なぜなら、〝愛国〟という時の〝国〟は〝国民を生きさせるために〟こそ存在しているからである」

「〝愛国〟の名の下で犠牲になっても良い、犠牲になることが仕方のない命などひとつもない。日本国民全員、自分も含めて誰ひとり死んでほしくない。そう考えること、そして、憲法を守り、自由で民主的な社会を守るために、今、路上に立って声を上げることこそ真の〝愛国〟だ」。

……そして、この後がちょっとキツい言い方なんですが、僕なりに要約すると、愛国者を自称しているのならば、国会前に来て欲しいと。ワンオブゼムとして、愛国者として、主権者として声を上げて欲しいと。また、ネトウヨのような自称愛国者たちは、こんなクソみたいな社会にしてしまったことに対して謝罪して欲しいと。……で、次が最後の段落です。

「本当の敵、つまり、対話不能なエイリアンが攻めてきたなら、戦う意志は当然ある。しかし、ネトウヨどもが敵としている韓国や中国の人たちは対話不能なエイリアンではない。そもそもそのような想定はおかしい。確かに対話の難しい人たちがいる。例えばイスラム国の人たちはそうかもしれない。しかし、お互いに言葉をもつ限り、絶対に不可能ではない。その対話の、決してゼロにはならない極小の可能性に賭け続けること、そして、勝利し続けること、それこそが、われわれの政治であり、国民の命を守護する、国家の使命だ」。……以上です。

小林 なるほど。

奥田 これを読む限り、牛田と小林さんの国家観は実は近いと感じます。ただ、どこですれ違っているかということを僕なりに整理するとですね、彼は小林さんの本を読んで、徴兵制を肯定的に捉えるような言い回しに納得出来なかったと思うんです。

小林 そうみたいだね。

奥田 牛田いわく、本来〝愛国〟っていうのはこの国のすべての人に生きていってほしいと願うことだし、戦争にしても勇ましく死んでいったストーリーだけじゃないはずだと。

小林 日本は、明治の時に近代国家に変貌したんだよね。明治維新がなかったら国民は平等じゃなかったんだよ。それまでは身分差別があったわけだ。で、高杉晋作が奇兵隊を作る時に身分に関係なく兵隊を募集したことを、百姓はみな喜んだわけだ。「武器を持って戦える」と。「武士と同じ身分になれるのだ」と。つまり、自分たちが武器を持って戦うっていうことがものすごい喜びだったの。

奥田 フランス革命にもそういう側面がありましたよね。

小林 そうそう。なぜ、ナポレオンは戦争が強かったか。フランスの国民、全員が武器を持って戦い始めたから圧倒的に強かったわけだ。それが国民国家の始まりであって、明治の日本もそのフランスのような近代国民国家の枠組みを取り入れた。だから、国民国家は徴兵制(国民皆兵)を基本にしている。

あと、スイスっていう国はどうなのか考えた方がいいよね。スイスでは、「同盟国をつくらないで、自分たちだけで自国を守る」っていうことを、国民の70%が支持している。「いざとなったら俺たちが戦う」っていう覚悟があるから、戦争に巻き込まれないっていう状態になっている。

ひるがえって、同盟国があるから、アメリカと安全保障条約を結んでいるから日本がこれまで平和だったのだとしたら、同盟国があることによって戦争に巻き込まれかねない今の状況をどう考えるのか。それは、やっぱり、日本が本当の国民国家じゃないから、こういうことになっているわけだよね。だって、自分たちに主権がないだもん。

奥田 そうですね。だから、今回のいわゆる〝存立危機事態〟っていうのも、アメリカ側の要請を断れないこと自体が〝存立危機事態〟みたいな感じになってますもんね。

あと、恐らく、牛田がいちばん言いたかったのは、そもそも、「国民国家のコンセプトにはこの国のすべての人に生きて欲しいという願いがある」っていうことなんだと思うんですけど、スイスの場合はそのためにいざとなったらひとりひとりが戦うっていう形を取った。ただ、それもひとつの形でしかないし、戦うこと自体が目的ではないですね。

小林 全然違うよ。だから、牛田くんが願うような国家のパターンって、この国際社会の中でどの国にあたるのか探した方がいいよ。そもそも、そういう国があるのかどうか。ただ、現在の国民国家を乗り越える思想ってないんですよ。

奥田 いや、だからこそ、彼も国民国家の思想に基づいて、〝愛国〟という言葉を使っているわけで。その上で、フランス革命にしても考えなければいけないのは、勇ましく戦って死んだから国民国家なんだっていうことではなく、もうちょっと根源的な……「なぜ自分たちを国民だと考えた時に自由だって思えたのか。究極的には何と戦おうとしていたのか。そこがいちばん問われているんじゃないか」っていうことを牛田は言おうとしているのかなと。

――それと、奥田さんは優しいので代読の際に濁していましたが、途中、牛田さんはメールではっきりと小林さんに対して、こんなクソみたいな社会にしてしまったことを謝罪して欲しいと書いているんですね。先ほど、小林さんは「わしの本はちょっと売れすぎてしまったんだな」と言われていました。また、近刊『新戦争論』(幻冬舎、15年)の第18章「『戦争論』の正しい読み方」の中で「ネトウヨは『戦争論』の副作用である! 圧倒的に効く特効薬には副作用があってもしかたがないっ!」と書かれた上で、いわゆる〝ネトウヨ〟を批判されている。ただ、自身の責任については謝罪されていない。要するに、牛田くんが求めているのは明確な謝罪なんです。

小林 ……(苦笑)。

――牛田くんが書くところの〝こんなクソみたいな社会〟の根源に、『戦争論』があるのではないかと。ネトウヨだけでなく、安倍総理だったり武藤議員だったりも〝『戦争論』チルドレン〟と言えるのではないかと。それに対して明確に謝罪して欲しいと彼は言っているわけです。

小林 そこまで言い始めたら全体主義になるよ。誰にでも表現の自由や思想の自由はあるんだから。わしは今も『戦争論』の中で描いたことは何ひとつ間違っていないと思っている。それは、全部ひとつずつはっきりと言える。その上で、『戦争論』を描いたことを謝罪するんだとしたら、あの本を絶版回収にしないといけないよ。もう誰も読めないようにしないといけない。そういうことを求めるのが、自分を正義だと信じている人間の恐ろしさだよ。スターリンもそうだし、ポルポトもそう。自分が正義だと信じている人間は、表現の自由を許さなくなるのよ。自分と違う思想の人間を許せない。つまり、百田尚樹や今の安倍政権と一緒なの。

――「沖縄のふたつの新聞社は潰さなあかんのですけども」という発言ですか。

小林 うん、そうなってしまう。わしから見ても、沖縄の新聞で異常だと感じるものはある。これはおかしいんじゃないっていうところがある。まったく無責任に琉球独立論を謳っている人間とか。国防を考えずにそんなことをしたらたちまちのうちに侵略されちゃうわけで、その発言の責任は大きいと思うよ。ただ、それでも百田尚樹みたいなことを言うと、全体主義になってしまうんだな。

まぁ、彼(牛田)はまだ若いからね。特に批判する気にはならない。わしだって若かったし、徐々にものの考え方が変わってきているところもあるから。若い人がつっぱってそういう風に言う気持ちも分かるし、きっと、情熱の強い人なんだろうね。でも、正義の罠にハマると全体主義になることには気を付けた方がいいよ。だから、『脱正義論』なのよ。わしが薬害エイズ事件の運動から学んだのは正義を信奉すると危ないということだったのね。

やっぱり、思想っていうのは固まったらダメなの。イデオロギーはどこかで固まるわけ。例えばマルクス主義に凝り固まってしまう。

そうではなく、思想は延々と考え続けないといけない。なぜなら、状況はどんどん変わる。それによって、自分の考え方も変わらなければいけない。ネトウヨにしても、やつらは思想するのを止めたんだな。

奥田 いや、僕が代弁するのもおかしいんですけど、牛田が、小林さんの本をいろいろと読んで感じたのは、「『戦争論』を絶版にしろ」とかっていうことよりも、〝愛国〟という言葉が、たとえば武藤議員が主張するような「戦争に行きたくないと言うのは利己的である」みたいな形に定義されてしまった要因が、「ああ、ここから来ているのか」っていうことなんだと思うんですよね。

――『戦争論』を始めとした小林さんの諸作こそが、SEALDsが対峙している現状をつくったテキストだと。

小林 いや、だから……『戦争論』1冊が安倍晋三からネトウヨからありとあらゆるやつらを洗脳してしまったんだって言うのならば、そこまで影響力を持っているということは、わしにとってはある意味で誇らしいことだよ(笑)。ただ、わしがあの本で肯定しているのは自主防衛と自衛戦争だから。そこは変わっていない。

で、前の戦争だって自主防衛と自衛戦争っていう概念から始まったんですよ。それが、支那事変あたりで怪しくなってくるものの、やっぱり、満州事変までは自衛戦争なのよ。要因には、ロシアの南下が恐いっていうのがあったから。確かにその辺の分析は歴史家によって違ってくるんだけども。そして、わしは安保法制が想定している、中東に戦争しに行くようなことは自主防衛の範囲じゃないと思っている。

奥田 小林さんと牛田くんのいちばんの違いは……牛田くんは根源的なところにこだわるので、彼が考えているのは「民主主義のコンセプトは国民を生かすことだし、たとえ防衛戦争であっても戦争には変わりないし、それがあった方が良かったかどうか、それを肯定出来るかどうかって言ったら、人が死んでる時点で肯定できない、けれど、事実としてあった」っていうことなんですよね。

小林 防衛戦争まで否定するってことになるともう……。

奥田 いや、「本当の敵、つまり、対話不能なエイリアンが攻めてきたなら戦う意志は当然ある」と言ってるので、否定はしていないんですよ。

小林 地球人なら誰でも話し合えて、戦争せずに済む?

奥田 いや、地球人でも対話不能ならエイリアンですよね、彼の定義では。だから、繰り返しになりますけど、彼も「いざとなったらやるしかないでしょう」ってことは肯定していて。どっちかと言うと、「9条は変えてもいいんじゃない?」と言っていたようなやつなんで。ただ、だからといって、戦争を美談にしてはならないと。そして、小林さんの作品にそういった語り口を感じて、それがネトウヨ的なものを生んだのではないかという意見なんだと思います。

小林 それはね、どうにもならない。ものを描く時に、その作品がどんな効果を生むかなんてことを考えて制御は出来ない。さっきも言ったように、『戦争論』を出す前はすごく左傾化した世の中だったから、売れるとも思っていなかったし、批判だけされて終わりかもと覚悟すらしていた。ましてや、ネトウヨが生まれるなんて夢にも思ってなかったわけ。

奥田 うーん……。

小林 わしが本当に『戦争論』を描いたこと自体を謝罪しなければいけないほどまずかったって思うんだったら、その本はやっぱり回収しないとダメ。


〈プロフィール〉

小林よしのり

昭和28年、福岡県生。マンガ家。代表作『東大一直線』 『おぼっちゃまくん』など。平成4年、「SPA!」(扶桑社)にて、社会問題に斬り込む『ゴーマニズム宣言』を連載開始。同シリーズのスペシャル本として発表された『戦争論』 『戦争論2』 『戦争論3』(すべて幻冬舎)は言論界に衝撃を与え、大ベストセラーとなった。平成24年からは「ゴーマニズム宣言『大東亜論』」(小学館「SAPIO」)を鋭意連載中。最新刊は本格的な戦争マンガ『卑怯者の島』
小林よしのりオフィシャルwebサイト

奥田愛基

平成4年、福岡県生。現在、大学4年生。SEALDsの中心メンバーのひとり。
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