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ノンフィクション・人文

クルアーンを読む カリフとキリスト

価格

2,200円
(本体2,000円+税)

判型

四六判仮フランス装

ページ数

312ページ

ISBNコード

9784778314989

搬入年月日
[?]

2015.12.8
※各書店・ネット書店により、購入可能となる日は異なります。

書籍の説明

クルアーン知らずしてイスラーム理解なし!


イスラームの側からものを見たら、世界はどうみえるのか。
日本人のクルアーンの読み方は本書ですべて更新される。


イスラームを学び始めた者は、キリスト教徒にとっての聖書にあたるものがムスリムにとってのクルアーンだ、と思うかもしれません。確かに、聖書もクルアーンも本である点では同じですので、そうした理解もあながち間違いとは言えません。
しかしそうした表面的理解ではクルアーンの重要性を見誤ることにもなります。
というのは、イスラーム神学的には、クルアーンは神の本質と一体である属性の一つ、御言(カラーム)であり、キリスト教でいうと神の位格の一つであり神の御言(ロゴス)であるイエスに相当します。キリスト教においては、真の神の言葉とは、イエス自身であり、聖書ではないのです。 (中田 考「あとがき」より)


 イスラームについての本が、書店にあふれている。
 本書『クルアーンを読む』はそれらと、根本的に異なっている。
 イスラームにコミットする、内在的視点から議論を組み立てているからだ。
対談者のひとりである中田考は、イスラームの研究者であり、ムスリスである。中田氏が本書のなかでものべているように、わが国のイスラーム専門家は、ムスリムでない人びとが大部分である。イスラームの信仰をもつ人びとがほとんどいない。このため、イスラーム世界に内在する議論ができにくくなっている。そこで、日本語で書かれたイスラームについての本を読めば読むほど、イスラーム世界についての偏った像を描いてしまう心配がある。もうひとりの対談者である私(橋爪大三郎)は、ムスリムではない。しかし社会学者として、宗教についての議論をするときは、その宗教に内在する視点を大事にするように心がけてきた。ある宗教を客観的にとらえるためにも、その宗教を内在的に理解することは、とても大事なのである。
イスラームに内在する視点は、イスラームに味方するという意味ではない。イスラームの側からものを見たら、世界はどうみえるか、十分に踏まえるという意味である。これはまともな議論の、出発点ではないだろうか。
 IS(いわゆる、イスラム国)が世間の注目を集め、ニュースでもしばしば目にするようになった。湯川さん、後藤さんの痛ましい事件も、記憶に新しい。そんななか対談者の中田考は、イスラム国との関連を疑われ、日本の公安当局にマークされることとなった。マスメディアの報道の仕方もあり、ちょっと危ない人物、というイメージがひとり歩きしている。
私にとっての中田氏は、この分野でもっとも信頼すべき学者、そして尊敬すべき学者である。中田氏が訳出した『日亜対訳クルアーン [付]訳解と正統十読誦注解』(二○一四年、作品社)は、たいへんな業績だ。クルアーン(コーラン)の正確で学術的価値のある翻訳として、長く後世に残る仕事である。『イスラーム法の存立構造』(二○○三年、ナカニシヤ出版)も重要な仕事であるし、『カリフ制再興』(二○一五年、書肆心水)をはじめ近年続々世に出る著作も、ほかの誰にも書けない貴重な着眼を多く含んでいる。だから私は、中田氏からじかに教えを乞い、対論したいと願ってきた。
 本書『クルアーンを読む カリフとキリスト』は、太田出版の雑誌『atプラス』編集部のアレンジで、中田考と私(橋爪)が対談した記録である。その冒頭部分は、同誌第二四号(二○一五年五月)に要約して掲載され、残りの部分とあわせて今回、単行本としてまとめられた。タイトルからわかるように、イスラームを理解するための根本『クルアーン』を、読解し理解することを目的とする。とりわけ、中田氏の適切な道案内により、初学者や門外漢が陥りがちな誤りを回避し、『クルアーン』とイスラームの核心にストレートに迫る内容となっている。副題「カリフとキリスト」は、イスラームとキリスト教文明との微妙な齟齬と対立を意識しつつ、現代世界の根底にある構造をつかみ取るという狙いを表現している。
 欧米経由の情報はしばしば、無意識のバイアスを含んでいる。それを補正し、より客観的な世界の像を手に入れるために、本書が役立つことを期待する。(橋爪 大三郎「まえがき」より)

目次

まえがき

第一章 クルアーンとは何か
  比較という方法
  四大文明を比較する
  ウェーバーの新しさ
  ウェーバーへの批判
  カエサロパピズムをめぐって
  正典としてのテキスト
  どの言語で書くか
  キリスト教は翻訳を認める
  ヴェーダ聖典とカースト
  漢字と儒学
  クルアーンの戦略
  聖書とナショナリズム
  正典を読む
  漢字のパワー
  山本七平との出会い
  正典と取り組む

第二章 書物としてのクルアーン
  誤解の落とし穴
  「クルアーン」は、ない?
  書かれたのではなく、語られた
  礼拝で読まれる
  礼拝の形
  扉の章
  長い章と短い章
  夜、礼拝に立つ
  最初の啓示
  各章の配列
  「タナハ」とはなにか
  神の言葉
  タナハと礼拝
  礼拝のやり方
  音読のしかた
  クルアーンの読誦法
  タナハはなぜ神の言葉か
  コーランの明晰さ
  ムスハフとクルアーン
  天の書板
  クルアーンの印刷
  預言者と預言書
  クルアーンに矛盾はあるか
  クルアーンに区分はあるか
  金曜礼拝について
  ファーティハ
  純正(第112章)
  神の声を聞く
  シーア派とハディース
  シーア派とクルアーン

第三章 クルアーンでわかる世界史
  似非信者
  善悪の点数計算
  行ないで救われるのか
  シーア派の諸分派
  終末のしるし
  イスマーイール派の統治
  イエメンのクーデター
  湾岸諸国は砂上の楼閣
  停滞するイスラーム
  イスラーム主義が残った

第四章 イスラームの歴史・神・法
  イスラームの歴史観
  アブラハムの信仰
  預言者たちの役割
  最後の審判
  イスラームは歴史意識が薄い
  アッラーとは何か
  天地創造
  終末と審き
  誰が救済される
  イスラーム教徒かどうか
  イスラームの法
  政治権力は正統か
  反乱は正統か
  火で殺してよいか
  一二イマーム派の統治学説
  ホメイニ革命の矛盾
  イラン憲法はイスラーム的か
  独裁と憲法
  ジハード
  内乱か強盗団か
  奴隷
  利子の禁止
  法人は存在してよいか
  グローバル経済とイスラーム

第五章 カリフ制
  カリフ制のメリット
  カリフ制の根拠
  カリフ制とキリスト教文明
  ナショナリズムとユニバーサリズム
  カリフ制は多元主義?
  カントの平和構想
  ISを見る必要

あとがき

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