鴨田潤 「くたばらないでくれミュージシャン」のうちのひとりでいたい
- Nov.6,2012
イルリメから、本名名義で活動を開始し、初の長編小説『てんてんこまちが瞬かん速』を発表するなど、多才さを発揮するミュージシャンの鴨田潤。彼のルーツとなった音楽や本、その繋がりについて聞いてみた。
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中学生のころから中島らもさんが好きです。「明るい悩みの相談室」という悩み相談を新聞で連載していて、それが面白かったので『とほほのほ』というエッセイを駅前の本屋で買いました。その本では、泉昌之の『夜行』という夜行列車で男が弁当を食べるだけの漫画がいかに面白いか書かれていて「そんな漫画があるのか!」と、また駅前の本屋にいったけど売ってなくてウズウズした思い出あります。そういうふうに中島らもさんを出発点にしてゴンチチや演劇などさまざまな入り口をみせてくれたのがすごく刺激的でしたね。
それと、石野卓球さんと野田努さんの『テクノボン』、あれは興奮しました。「ひとつのジャンルが続くというのは誰かが新しいことを始め、それに影響を受けた人がまた自分なりに始めて、と脈々とつながり広がってゆき、歴史になるんだ!」と小説のようにページをめくるたびに興奮しました。それまでブラックサバスとかキングクリムゾンとか聴いていたのですが、テクノを買って聴くようになり打ち込みを始めるようになったんです。
音楽に興味を持ち始めたのは、小学生のころ放送していたドラマ「はいすくーる落書」の主題歌だったブルーハーツの『TRAIN-TRAIN』がきっかけです。「ここは天国じゃないんだ かといって地獄でもない 良いやつばかりじゃないけど 悪いやつばかりでもない」という歌詞に子ども心で「え! どっちもちがうってどういうこと?」と混乱していると次に「ロマンチックな星空にあなたを抱きしめていたい」と野太い声のストレートなフレーズがきたので「なんだかこれ格好いい」と引き込まれました。あと「見えない自由がほしくて 見えない銃を撃ちまくる」という歌詞には「すげー、駄洒落なのに格好いい」と思いましたね。
そのブルーハーツがバンドだったので、自分もバンドをしたいと思い、お金を貯めてエレキギターを買い、自分もブルーハーツのような曲を作りたいと真似し始めたのが音楽を始めたきっかけです。それでバンドを組むのですが、各々好きな楽器を買って組んでみるとアコギ、エレキギター、ベースとアルフィーみたいな編成になってしまいブルーハーツからは完全にはなれてしまいましたが(笑)。
ちなみに、自分の肩書きを説明するときはミュージシャンという言葉を使っているんです。「アーティスト」って言葉なんですけど、例えば、音楽業界内でアーティストという言葉が使われるとき、薄っぺらさがつきまとっていて、大したものでないものを大したようにみせるために使われる言葉のような気がして好きではないんですよ。ECDさんのアルバム『THRILL OF IT ALL』の最後の曲に『トランポリン』という曲があって、その中で「くたばらないでくれミュージシャン」という歌詞を叫んでいるのが泣けて格好いいんです。だから、その「くたばらないでくれミュージシャン」のうちのひとりでいたい、と思いますね。
【プロフィール】
鴨田 潤(かもだ じゅん)
2000年に自主リリースした1stアルバム『イるreメ短編座』が音楽ファンの間で広まり話題となる。2004年までに4枚のオリジナルアルバムを立て続けに発表、04年発売のアルバム『www.illreme.com』に於いてはミュージックマガジン誌『ロック(日本)』部門で年間ベストアルバムに選出される。またジャンルを問わず様々なコラボレーションも精力的に行い、speedometer.とのユニットで『SPDILL/How to feel the empty hours?』、ECDとのユニットで『ECDイルリメ/2PAC』、二階堂和美の全作詞とプロデュースを担当した『二階堂和美のアルバム』を制作。07年、カクバリズム移籍後初となるフルアルバム『イルリメ・ア・ゴーゴー』をリリースし、「FUJIROCK」初出演。翌年にはフランス、ドイツ、ベルギーなどを回る初のヨーロッパツアーを敢行した。作品はその後も08年に『メイド・イン・ジャパニーズ』、10年に『360°SOUNDS』をリリース。同時にCM音楽や作詞提供、REMIXと制作の幅を広げてゆく。08年より歌への傾倒からギター弾き語りライブを開始。11年、本名・鴨田潤名義で1stアルバム『一』をリリース。
最新作は12年、TRAKS BOYSと組んだシティポップバンド(((さらうんど)))の1stアルバム『(((さらうんど)))』。
鴨田潤として初の長編小説『てんてんこまちが瞬かん速』(ぴあ)を発表。
http://kamodajun.com/