お笑いテレビ裏方稼業⑤ 稼ぐ人間の“人生哲学”とは!
- Mar.29,2015
「鮫」に案内されてやって来たのは、高田馬場から歩いて数分。
山手線が走る列車音が数十秒毎に響き渡るマンションの一室。
大都会・東京にいることを思う存分味わえる住居には適さないワンルームマンション。どこにでもあるような、縦長の間取りだった。
鮫がスペア―キーで玄関ドアを開けると、右側に洗濯機置き場。
左側には、セパレート型の風呂とトイレ。
その並びにガスコンロが二つ設置されているキッチン。
引き扉の向こうには、チープなフローリングがある居間兼ベットルームだった。
ただ、普通とちがったのはこの賃貸マンションには当時珍しかったVHSテープからVHSテープに落とすEED(編集)マシーンが数台 壁際にズラリ並んでいた事。窓際には、錆びたスチール製の二段ベットがあった事。
その一段目には、たくさんの服がクリーニング屋でもらう安物のハンガーに吊るされていた事。缶コーヒーの空き缶とエビアンのペットボトルが散乱していた事。そして、なんともいえないケダモノの臭い。霊長類ヒト科が遺した異臭。「汗」と「ヤニ」と「精液」が入り混じった薄暗い一室。
ココは、AV(アダルトビデオ)を仮編集するための作業部屋だった。
しかも、その隣り部屋。
陽当たりの良い角部屋も同じグループが賃貸契約しているらしい。
俺(柳田)は、必要以上に物珍しいリアクションをしながら鮫に訪ねた。
「…となりの角部屋は?」
「たまに企画モノのAVを撮影する時に使っているみたいで…。
柳田さん、懐かしいでしょ?…こういう場所?」
「…懐かしい?…何が?」
「またまた!…何がって(笑)…白々しいなぁ!」
「…イヤイヤ。俺、AVを作っている現場なんて、ホンマ知らないですよ」
「えっ、カバン屋の●●とか、△△とか、知り合いだったでしょう?」
『カバン屋』とは、「電話一本でウラ(無修正)ビデオを取引する個人業者」
家庭用ビデオデッキが一般に普及し始めた1980年後半から90年代初頭にかけて、大阪を中心に活躍していた“カバンひとつで荒稼ぎする違法業者たち”の名称だった。だが、夕刊紙やスポーツ新聞各社では“そのような輩と付き合うことすら処罰の対象”と厳重に注意されており、面識すらなかった。
もちろん「カバン屋」や、顧客の個人情報を狙ういかがわしい「名簿屋」は、
事あるごとに、新聞社の下請け、孫請けの小さな広告代理店に接触を計って来た。だが、そんな吹けば飛ぶような商いに片棒を担ぐほど馬鹿でもなかった。
その辺りの事情を未だ把握しきれていない鮫は、マンションに入る前に自販機で買った缶コーヒーを俺に一本手渡しながら昨日聞いたばかりの(当時、レンタルビデオチェーンで流行っていた)AVのウラ事情を、得意顔で語りはじめた。
「さて、ここで問題です。
…AV女優とAV男優、どちらが、ギャラが高いでしょうか?」
鮫は、当時流行っていたテレビ番組『クイズ!歳の差なんて』の司会者。
桂三枝(現・文枝)の大袈裟なアクションを入れながら絡んできた。
…正直、こんなアホに仕事の一環を相談した自分の浅はかさを後悔した。
この時代、「AV」も「お笑い」も新しい波“第三世代”に突入。
少しずつ軽量化される“新しい撮影機器”と共に、新陳代謝が激しかった。
中でも、カンパニー松尾、バクシーシ山下、平野勝之のインディーズ三羽烏が世に放った「素人ものAV企画」が少しずつ認知されはじめた頃。
地上波のテレビ番組で「エロ」と「水着」が重宝されていた頃。
テレビ東京の『ギルガメッシュないと』に、飯島愛が登場する前夜の話。
つまり、“AVのプロ”と“素人”が交差し始めた端境期にあった。
実は先ほどから、俺(柳田)のベルトに巻かれている『ポケベル』が再三、
鳴り響いていた。呼び出し主は、ひとつしかない。俺の飼い主たちだ。
夜な夜な、誰ともつるまず“仕込み”に出かける関西人の首に架けられた
ロープを手繰り寄せながら“現状報告をしろ!”と待っているのだ。
どーせ、自分は動かず 稼ぎのいい放送作家には連絡する勇気すらないのだ。
「…柳田さん、ポケベルさっきから鳴りまくってまっせ!
公衆電話の場所、わかりまっか!?」と鮫がぎこちない愛想笑いを浮かべる。
その手には、裏側が特殊な銀色テープで穴が覆いかぶさるように貼られた
“偽造テレフォンカード”が数枚、握られていた。
「柳田さん、時代はやっぱ“上野”でっせ!
ワシ、今度…パンダ観に来る田舎モンにカードで勝負賭けよう思いまんねん。
どうでっか? ようわからんテレビの仕事なんか辞めて一緒に組ませんか?」
(誰が、お前なんかと“組む”かぁーーー!!)
(お前も俺も、パンダ観に来る“田舎モン”と同じやぁー!!)
(そんな事は、どーでもええねん!)
(…俺は、お前と違って、時間がないねん。)
(それよりお前、テレビで整形手術してもええオンナ、いつ会えんねん?)
煙草を吸いながら、腕時計をチラっ見ると…恵比寿の事務所に帰る時刻を過ぎている。今ごろ、俺の代りに誰かが厚底の登山靴で蹴られまくっている時間だ。
早いトコロ、俺が飛んだ!(脱走した)という噂が立つ前にココを片付けよう。だが、そんな俺の心を察した鮫は、いきなりマウントを取り出し焦らしまくる。
「柳田さん、今、AV界の最先端。ひとつ特別に教えまひょか?
まぁ、テレビ屋には 関係おまへんけど… コレ、絶対来まっせ!!
実はね… 今度、ワシも噛んでる(関係ある)AVで“潮吹き”やりまんねん!」
「…塩?潮?…潮吹き?」
「コレね、マジ、強烈でっせ! ワシ、さすが東京って凄い思いましたわ!」
(…今思えば、)なんという偏差値の低い下劣な会話であろうか?
そこには、日本人が誇る『品格』もなければ、『東京への評価』も間違っている。
だが、“潮吹き”だけは“その数年後…AV界を席巻したのは確かであった。
「どうですか? …今から、潮吹く現場、観に行きませんか?
…潮、言うても、和歌山と違いまっせぇ~!東京でっせぇ~!」
…コレが、国民の税金で養われている“公務員”であれば、断るのが筋である。
だが、俺は“腐ってもテレビ屋”小さなプライドだけで生きている。
「面白きこともなき世を面白く
住みなすものは心なりけり」
幕末の志士。高杉晋作の辞世の言葉だ。
高杉ほどの“大義”はないが“ネタになりそうな場所や人”とは対峙する。
それが、俺が選んだ仕事だ。
例え、それが時給37円であろうが…
手に持った缶コーヒーが日給の3日分であろうが…まったく関係ない。
すべてが、自己責任の世界で生きている。
…とは言うものの、根はいたって“真面目な公務員の次男坊”だ。
「あっ、そうそう。Hさん、ホンマに、整形オンナ大丈夫なん?」と釘を刺す。
「大丈夫やって!(笑)…なんなら、撮影場所に来てもらうよう段取りするわ。
俺(鮫)も、そっちの方が、一石二鳥!そっちの方が有難いわ」
そこで俺は、“異業種ビジネスの実体”。
「働く」とは… どういう事なのか?
「仕事」とは… 何なのか?
稼ぐ人間の“人生哲学”を、生で聞くこととなる。
(つづく)
■著者プロフィール/柳田光司
1968年生まれ。本業は『放送作家』
現在『あの頃の、昭和館』という映像・音声ブログを配信中。
その中の音声コンテンツ『現代漫才論(仮)』では企画~出演~編集もやっています。
これまで、いろいろ照れがあり…何ひとつ外に出していませんでしたが…。
今はもう、そんな自分がアホらしくなり 精力的にアウトプットしていきます。
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