特別インタビュー
不世出の天才漫画家、
うめざわしゅん復活
『パンティストッキングのような空の下』
に見えた漫画表現の到達点
文=足立守正
text by Morimasa Adachi
前口上のようなものから始めたい。だって、それほど知らないでしょ、うめざわしゅんのことを。うめざわしゅんは1998年、『ヤングサンデー』誌増刊掲載の「ジェラシー」でデビュー。その後、ヤンサンに連載した短篇連作をまとめた『ユートピアズ』(2006年刊行)が漫画ファンに注目される。藤子・F・不二雄が「すこし・ふしぎ」と自称した異色短篇を引き合いに語られたり、テレビのショートドラマとして映像化されたり、アイデアの効いた短篇の名手の登場と認識されることも多かった。しかし、その後のうめざわしゅんは、頻繁に作品を発表することはなく、見かけることがなくなってしまった。そして2010年から『月刊!スピリッツ』誌に連載された『一匹と九十九匹と』で再会した。この連作がまた問題作で、『ユートピアズ』で見せた、アイデアに重きを置いた短篇ではなく、生きづらい人々のいる風景のあれこれを、淡々と力強く描いたものだった。自分の耳が悪かったのか、この時に「あの『ユートピアズ』描いてた作家がさ、なんかちょっとヤバい漫画で帰って来たぞ」という喧伝が、全然聴こえなかったことは、それこそ、すこし・ふしぎ、だった。
そして、単行本未収録作品集の『パンティストッキングのような空の下』の刊行の話である。実はうめざわしゅんには、他にも雑誌に発表された短篇作品があり、それらが人知れず蓄積していたことを知った編集氏が、本にまとめようと動き始めたのだ。その内容を見せてもらい、うぬぬと唸ってしまった。ほとんど初見の短篇ばかり。描かれた時期の間隔のせいか、バラエティに富んでいる。むせるような人間臭さと仄かなファンタジーが同居している。全ての作品を通して、意地悪な笑いに包まれている。台詞についても絵についても実が詰まっていて、漫画読者としては、まるで滋養が流れ込んでくるような読み心地。一気にまいってしまった。こんな漫画を知らなかったなんて、勉強不足だ。こんなにも知らなかったのだ、うめざわしゅんのことを。
――――― この度は、作品集『パンティストッキングのような空の下』の各作品についてや、それに至るまでの変遷など伺えれば、と思っています。通して読んでみて、本当に不勉強だったなっていうのがありまして。『ユートピアズ』が刊行された時に、小学館でインタビューさせていただいたんですよね。で、当時の編集長の森山裕之さんも作品に感動して着いて来た。QuickJapanで連載をお願いしたいっていう話もあって、噂は聞いていたんです。「ちょっと調子悪いみたい」って話とか。
うめざわ そうなんですよ。あったんですけど、当時心身ともに大分不調でして。その後も1年以上活動していなかったんですけどね。
――――― その時も話したと思うんですが、ショートショートの作家として読まれちゃうんだろうなって思いながら、変な青春漫画みたいな作品ほうが気になっていたんですね。結局、『世にも奇妙な物語』でドラマ化されたりして、僕自身がショートショート作家の印象を持ったまま、うめざわさんについての情報を得ることが無くなってしまって。で、近年の「月刊!スピリッツ」を読み、「あの、気になったほうの感覚で、また描きはじめたんだな」って思って。
うめざわ 「青春」的なものっていうようなことですかね。
――――― というよりも、クールな起承転結じゃない、「人間」的なものですかね。
うめざわ ちょっと作り方を意識的に変えたっていうのはありますね。
――――― 収録作を時系列でみていくと、2001年にヤングジャンプの増刊に掲載された「学級崩壊」がいちばん早い時期の作品ですね。筒井康隆を思わせるようなショートショートの一環でしょうか。
うめざわ 当時好きだった新井英樹さんの『ザ・ワールド・イズ・マイン』、あと、学校でいろいろ起こっている、山本直樹さんの短編『学校』、まあ、こんな漫画が好きなんで、パクって描きましたぐらいの感じではあるんですけどね。まだ学生やってたのもあるし、気楽に描いてたと思います。あと僕はよく四コマを描いて、ギャグ漫画の賞に応募して賞金稼ぎをするということをやってたんですね。完全に学生気分で、アルバイト代わりに、賞に送ったほうがコストパフォーマンスがいいんで。ちょっとのページでいっぱいお金がもらえる。でも、しばらくして「ヤンジャンでやろう」と決めて、学校卒業したぐらいからヤンジャン一本だけでやってたと思います。
ブラッドベリtoハルヒ
――――― ちょっと後の、「渡部くんのいる風景」も、うめざわさんの好きなものが詰まっているカタログのような感じにも読めました。サブカルチャー雑誌でコラムなど書いていると、どうしても影響などを引き出さなきゃいけない使命感があって、以前のインタビューもそれが辛くて、あまり聞きたくないなと思っていたんだけど、うめざわさんも何にも教えてくれないという、凄く謎な感じのまま、僕の主観で終わってる。
うめざわ 打てば響かない感じで。
――――― 「渡部くん」を読んでいれば、いろいろヒントはあったんだなと。絵を描く上での苦戦みたいのも見える。登場人物の名前の取り方だとか、音楽からの引用だとか、とにかく『ユートピアズ』では読み取れなかったですね。
うめざわ 出さないようにしていたので。
――――― 2002年に描かれた「いつ果てるとも知れぬ夏の日」は、最近のラノベや深夜枠アニメーションみたいな感じのタイトルで。
うめざわ それはレイ・ブラッドベリの短編のもじりなんですけど。割と甘酸っぱい感じで。夏休みを繰り返すのはなんか……『ハルヒ(涼宮ハルヒの憂鬱)』的な。
――――― そして、表題作となった「パンティストッキングのような空」、これがちょっと特殊な。特殊というか本筋なのかな。
うめざわ 一番力を入れたという意味ではそうだと思います。元ネタですが、スタインベックの『二十日鼠と人間』の主人公のジョージとレニーのキャラクターを、三上とひろしにコピーしました。これをやった時に、自信はあったんですよ。ヤンジャン本誌に載せてくれるっていうのもあって、頑張って描いたんですけど。ただ、アンケートを見たらドベでですね……。やる気なくなっちゃって。これじゃダメじゃんと思って、方向転換をしたようなところはありますね。「未来世紀シブーヤ(原題:「失われた時を求めて」)は、ヤンジャンで描いてボツったら、ビジネスジャンプが載せてくれて。
――――― これは、どちらかというとギャグを突き詰めたような。
うめざわ 『ユートピアズ』っぽい感じですね。
全人間の普遍性に
ようやく辿り着いた
――――― そしてこの後に、その『ユートピアズ』期に移ってゆくわけですが、すぐ後に描かれた「朝まだき」、いや、これホントに好きです。
うめざわ まだそんなに描ける調子ではなかったんですけど、お金も無かったので、何とか無理矢理描いて。でもやっぱりダメだということで、またパタンと描かなくなって。直後の「ドープ」(『ビッグコミックスピリッツ』掲載、今回は未収録)はちょっとアガってきた頃なんですが、絵も荒れちゃって何だかなあ、という感じでした。でもそこから『月刊!スピリッツ』で『一匹と九十九匹と』を描かせてもらい、不定期とはいえ連載をやれるまで戻ってきたんで、少しは回復したかと。手探りで迷ってる感じはありましたね。今回の本に収録された「唯一者たち」は、その最終話として描いたものです。単行本の2巻が出たところで、個人的な理由で漫画から離れてしまったので、掲載まで間が空いてしまったんですが。
――――― 「唯一者たち」を読んで、悪い意味でなく、うめざわさんはまだ迷ってるんだ、いいなあ、と思いましたけど。
うめざわ 僕の感覚では、「唯一者たち」を描けたことで、やっと抜け出せた感はあるんですよ。『一匹と九十九匹と』というタイトルは、ルカの福音書にある言葉で、福田恆存が戦後すぐに書いた論文のタイトルからとりました。政治が救えるのは百匹のうち九十九匹だけれど、救いきれない一匹が残る。それを救うのが文学なり芸術なりの仕事なんだ、という話なんです。ただ、この救われなきゃいけない一匹っていうのを、社会的なはみだし者って解釈している人が結構いるんですが、論文を読むとそうでもなくて、誰の中にでもある自分だけが生きて死んでゆく一匹を救わなければいけないという内容だったんですね。だからこの漫画を1、2巻と描いてみて、特殊な人の特殊な話で終わっちゃったなって思ってたんですよ。で、「唯一者たち」を描いたときに、迷っていてなかなかできなかった、全人間に共通する普遍的なところに、ようやく辿り着けたという話ではあるんです。
――――― 女性の描き方が今までよりもキャッチーになって。格段に可愛くなってますよね。
うめざわ ああ、女のコを描くのホントに苦手なんで。
――――― いや、苦手そうだなと思ってたもので。
うめざわ 「萌え絵」の研究とかもしたんです。
――――― 作品本編の物語とは関係ないんですが、今までのクセのあるうめざわ節と、それに対するキャッチーなものとの闘いの図にも見えました。主人公のロリコン男の言うことを、爽やかに肯定するあたり。
うめざわ ロリコンの犯罪者という物語の暗さと、対比させる存在がいいんじゃないかと思って。
――――― 街中の人たちの表情が、主人公の頭にバーッと入ってくる場面が印象的でしたが、ああした経験はあるんですか。
うめざわ 僕自身の経験ではないですが、「自分だけが一匹で、他の人は九十九匹なんだ」という認識の主人公が、「自分にとってはモブだった人たちそれぞれが一匹(唯一者)だったんだ」と認識したってことなんですよね。
――――― そうすると「一匹と九十九匹と」っていうシリーズタイトルも、本来はこの作品がないと成り立たないんですね。
うめざわ そうなんですよ。だからこれが最終話なんです。単行本を2巻まで読んでいただいた方には、是非これだけでも読んでもらいたいです。
「生」だけでめんどくさい
――――― うめざわさんの作品は、すごく生きづらそうな人の話が多いですが、セックスの存在についても皆めんどくさそうですね。こんなもの無ければいいのに、と思いながら逃れられない感じ。
うめざわ 僕自身、あまり意識はしていないけど投影されてるかもしれません。「性」だけでなく「生」だけでめんどくさいってところがあるんで。
――――― そんなこと描きながら、「ぬくもり」と言葉にするとべたべたしてしまいますが、動かない動物に触ってみたらあったかいから「あ、生きてるな」という、そういう原始的なぬくもりを感じます。それに関連することか、つらい話のなかに、いつも笑いの要素を入れようとしていますよね。
うめざわ それは一生懸命入れようとしています。
――――― つらい話を描くときは、真面目に描くのが正しい、不真面目になっちゃいけないというのが日本の創作にはあるような気がします。
うめざわ それは僕もそう思っていて、いつもちゃんとユーモアを入れないといけないなというのはあります。ユーモアやギャグを入れられないってのは、あまり客観的に距離が取れていないってことなので、意識的にそういう視点は持っていきたいなと思っています。『一匹と九十九匹と』の2巻のエピソードでは、それに失敗したなと思っていて。あれはユーモアが入る余地なかった。
――――― 残虐がユーモアの一種だと受け止めていましたけど。ラストシーンにしてみてもよく考えてみると……。(※未読の方は、まあ読んでみてください)
うめざわ ああ、まあ……。
――――― たとえば戦争を描くにしても、出征の後の笑いというのは必ずあると思うんですよ。
うめざわ どんな極限状態でも必ず笑いはね。
――――― 以前にお会いした時、映画の話をちょっとして、たしか「最近、キム・ギドクを見始めた」とおっしゃってたんですよ。
うめざわ ああ、あの頃は『うつせみ』あたりを観たんだったかなあ。
――――― 韓国映画って、どういう教育からなのか、凄く悲惨な話でも半分くらいは確実に笑いを入れるセンスが見受けられますよね。『うつせみ』にしてみても、あんな変なギャグ映画みたいなのに、紹介すると「真のラブストーリー」みたいにならざるを得ないんですよね。どんなサスペンスかと思ったらコメディ要素が多かったり。「そういうことなんだよ」って思わされることが多い。
うめざわ そうなんですよね。過剰で笑ってしまう。ただ、キム・ギドクに関しては、笑わせようと思ってるのかは、微妙な気がしますけど。天然なんじゃないかって。
テポドンを
落としてあげたいな
――――― そして、現時点での最新作が、描きおろしの「平成の大飢饉予告編」ですね。
うめざわ 描きおろしの話をいただいて、どうしようかな、やりたくないな、と思ったんですが、でも三上とひろし(「パンティストッキングのような空」の主人公コンビ)のキャラクターが気に入っていたんで、描いたのが12年前だから、12年後はどうなってるかな、ってことなら描けるんじゃないかなーと描いてみたら、ちょっと長くなっちゃって。
――――― 雑誌に載ったら賛否ありそうな内容ですが。
うめざわ まあ、太田出版で描きおろしでっていうのなら、自由に描いて大丈夫かな、ってのはありましたね。ただ政治的にどうのとかいうのは、割と後付けみたいなところです。ひろしの方をフィーチャーしたいと考えた時、まずセックスさせてあげたいなというのと、テポドンを落としてあげたいなという、12年前の願いを叶えてあげたいというのがあって、話を創っていったら、後付けで右翼団体とかも絡んできたということで。
――――― 別に肯定も否定もしてないんですよね、風景として描かれているというか。
うめざわ そういう人はいるってことですから。
――――― 本来、こうした政治的なことを含む時代背景を織り込んだ短篇は、その時代の雑誌に掲載されたほうが面白いですよね。
うめざわ 騒いでもらうくらいの方がね。
――――― うめざわさんは結果的に短篇作家的な扱いになっていますけれど。短篇漫画というのは、どうも軽んじられている気がします。短篇だと書店に長く置けないとか、売れないとか、変な風評もある。作家が描かなくなったら本にまとまらず、その後読まれることはない。描き続けても、ある程度数がたまらないと本にはならない。そういう状況で、読み続けられる短篇を残すことは、本当に大切なことだと思います。
現在、漫画の連載作品は長期連載を求められ、単行本は驚く程の刊数を重ね、10巻越えはザラだ。悪いことではないが、結末までバランスの計算された短篇漫画は、あてども無く続く連載漫画とは、もはや味わい方が違うモノになって来ていると思う。以前のインタビューを読み返すと、うめざわ氏は「におってくるようなものを描きたい」と抱負をのべている。今となってはそのにおいは、この作品集のなかに詰まっているとわかる。じっくりと吸い込んで欲しい。短篇漫画の面白さを満喫できるはずだ。
このインタビューは、『Quick Japan』vo.123に
掲載されたものを再編集したものです
うめざわしゅん
1978年12月13日生まれ。1998年、ヤングサンデー増刊(小学館)にて読み切り「ジェラシ―」でデビュー。2006年『ユートピアズ』、2011年『一匹と九十九匹と 1』、2012年『一匹と九十九匹と 2』(すべて小学館)を刊行。
本書『うめざわしゅん作品集成 パンティストッキングのような空の下』は、「このマンガがすごい!2017」オトコ編・第4位にランクイン。