クイック・ジャパン編集部ブログ

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QuickJapan77号Perfume特集おまけ座談会 5

2008.4.26

QuickJapan77号Perfume特集おまけ座談会
夢はまだまだ終わらない!――Let’s talk about Perfume&GAME! 5

 いよいよラストまであと2回となった座談会。第五章ではPerfumeと中田ヤスタカの関係から、表現活動のあり方、そして作家性とはなにかという、ちょっと大げさなネタに話が進みます。

◆第五章 Perfumeと中田ヤスタカの関係

さやわか(ライター)×吉田大助(ライター)×藤井直樹(本誌編集長) 記録係:増田桃子(編集部)

■中田さんはPerfumeに惚れ込んでる!?

さやわか 中田さんはPerfumeに対して結構引いた目で見てるんでしょ、みたいに今でも思ってるリスナーはいると思うんですけど、僕は必ずしもそうじゃないと感じてます。
吉田 77号のインタビューでも分かりますね。結構、相思相愛になってきてるぞと。
さやわか 「これでなにかおもしろいことやってくれ」っていう77号の中田さんのコメントは一見投げやりなようにみえるけど、そうじゃないんですよ。彼なりのアプローチではあるけど、かなりベタ惚れというか、はっきりと惚れ込んでやってるのが分かります。ヴォーカルが三人いる意味を考えるようになったみたいなことを言ってて、僕自身は「あーよかったー」みたいな。「やっと気持ちが通じ合ってきてよかった!」って(笑)。
藤井 ファンの素直な感想だなあ(笑)。
さやわか 「中田さんにはプロデューサーとして超越的で、外部の存在でいてほしかった」って言う人もいるかもしれないんだけど、僕は誰もコントロールできていない、中田さんですら巻き込まれて、引き込まれていくんだという関係の方がPerfumeらしいと思いますね。
吉田 おそらく、その「恋愛」が始まったのは最近でしょう。「ポリリズム」のちょい前とか。きっとまたどんどん変わっていくんだろうけど。特にアルバムのレコーディングで、中田さんとPerfumeが2週間一緒にいたっていうのはすごく大きいと思う。今まではシングルを作る、曲を作るたびに呼び出されてその日に声を録って、あとは中田さんにお任せでその日に別れていた。もしかすると両手で数えられるぐらいしか会ってなかったかもしれない。それが今回、アルバムで新録7曲のために、2週間のレコーディング期間を一緒にいたわけですから。
藤井 中田さんの誕生日も祝ったし(笑)。日付変わりにみんなでメールを入れようとしてたのに、何も知らない中田さんがレコーディングを始めちゃって、ブースに入ったかしゆかが「このままじゃメールが送れない」ってやきもきしたりとか、そういう関係っていままでなかったでしょうね。zadan_amu.jpg
吉田 その経験が今後生きないはずはない。アツアツの恋愛ものとかを書くかもしれませんよ(笑)。
さやわか 相手に信頼と期待があるっていうのは、関係として熱いじゃないですか。相手を見限っている感が全然ない。そういう意味ではまだまだ全然始まったばっかりだよ、って、まだまだこの子たちはやってくれるよっていうのを、関さんも言ってるし、中田さんも言ってるし。でも本人たちはあんまりそういうこと考えてないみたいなんですよ。まあやることやってますからって(笑)。
吉田 まだ19歳っていう、この恐ろしさはどうですか。
さやわか そうそう、まだ20歳ですらないっていうね。
藤井 90年代以降、ローティーンの女性ミュージシャンが続々と誕生しているんですけど、みんなデビュー直後から「こんな少女が!」って感じで話題になってるんですよ。ところがPerfumeの場合は、ずっと下積みをやってたというか、一般層にまでは認知が広がらないままかなりの年月が過ぎていったわけでしょう。それでまだ19歳というのがね、なんというか「この子たちは鍛えられてんなあ」って(笑)。こういう三人が中田さんと組み合わさるのは本当に面白い。

■縛りを持ち込んだ方が面白いものになる

吉田 Perfumeは「自分たちが中田さんに影響を与えているかどうかは分からない」という言い方をしてますけど、このアルバムを聞くともうホントに中田さんすげーいい素材を手に入れたと思いますよ。楽器的にもそうですけど、関係性も魅力的で、この子たちにこういうことをさせたいなとか、この子たちがこう変わってきた、この子たちと自分の関係が変化したなとか。観察し続ければいくらでもネタが出てくる状態でしょう。
藤井 中田さんにとって観察対象としてのPerfumeは面白いでしょうね。年齢にそぐわない少女性と成熟さがあるし、やっぱり19歳だなあって瞬間もある。三人のキャラクターはそれぞれ違うんだけど、まるで三つ子のようにそっくりな部分もあり、三人でひとつになったりもする。おそらく見ていて飽きないと思いますよ。
吉田 彼女たちの変化や、彼女たちと自分の関係を音楽に、言葉に落とし込める。それはMEGとか鈴木亜美とか酒井景都との関係とは全然違って、歌詞制作を含めたトータルプロデュースであることの、最大のメリットですよね。Perfumeは中田さんと出会ってよかった、ラッキーだった、みたいな見方を世間はしてると思いますけど、中田さんにとっても最高にラッキーだったと思います。zadan_best.jpg
さやわか 中田さんがプロデュースした他の作品も、MEGとか結構いいんですけどね。『月面兎兵器ミーナ』の主題歌だった「ビューティフル・ストーリー」(歌・井上麻里奈)なんか僕はすごく好きだったし、『ライアーゲーム』のサントラもいいですよ。ただ、そういった1回限りに近い仕事じゃなく、Perfumeの場合はもう企画書云々じゃないレベルでユニットの性格とかファンの反応が分かってきてるわけで、中田さんも「次はこうする」っていう戦略とか、音の出し方ができるのかなあとは思います。
藤井 関わっている期間も長いしね。ここまで継続して楽曲を提供して、おまけにそれが相手のキャラクターや音楽性を形作っているのは、中田さんにとってPerfumeくらいでしょう。
さやわか それはでも「自由にやれる」っていうわけじゃなくて、縛りの中でどれだけ自分を出すか、みたいな感じですよね。微妙な縛りがあるからこそ、中田さんは面白い道を見いだせてるのかなって思うんです。ほかのプロデュースでも縛りはあるでしょうけど、結局は「中田さんに曲を書いてもらった」という意味に沿ったトータルプロデュースをするはずなんです。ヘタをすると「中田さん好きなようにやってください!」みたいに、縛りよりも自由度が強くなっちゃうかもしれない。Perfumeはそうならないですよね。
吉田 だったら逆に、縛りを持ち込んだ方が面白いものになる、と。
さやわか 好きなことをやれるよりも、「え、いきなりもうCM決まってるの?」とか、「バレンタインソング?」って縛りが決まってた方が燃えるっていう。中田さんには、そういうところを感じますね。
吉田 縛りをなくしたほうが良いものになるはずだっていうのは、頼む方の変な作家性幻想なんですよ。全部中田さんに任せれば大丈夫っていう。
さやわか 中田さんに任せればなんとかなるらしい、みたいな(笑)。だからほかに中田さんがプロデュースした曲でも、すっごく曲はいいんですけど、中には「中田さんだからPerfumeみたいな踊りで良いんだろ」って感じのダンスが入ったPVもあって、それはすっごいカッコ悪いんですよ。「曲はいいのになんでこんなPV作ったんだろう?」ってなっちゃうし、曲と映像が互いにマッチして1個のものを作っている感じがしない。それは「PVは曲のオマケです」みたいな感覚がどこかにある。
藤井 おそらくCDとPVはまったく別の作品って感覚がないんでしょう。音楽に映像をくっつけたものがPVと思ってる人は業界にも結構いますよ。そういう人ってテレビや店頭で広告として流すのがPVで、その広告で売りたいのはCDっていう、そんなおかしな区別をしてる。でもPerfumeの場合は、音楽も映像も「商品」かどうか以前に、まず「作品」として考えてるんだと思います。
さやわか PerfumeのPVに対して、中田さんは自分が映像を担当したら絶対あんなものは作らないって言ってますよね。関(和亮)さんも中田さんの考えてることはよく分かってないし。でも「マカロニ」のPVとかは曲と映像がマッチしてすごくいいじゃないですか。お互いに自分の仕事をこなして1個のものを作っているという感覚なわけで、やっぱりそこは「Perfumeチーム」なのかなと思います。

■作家性のあり方が変わっていっている

吉田 やっぱり今までは、みんな100%の作家性みたいなのにこだわりすぎたんですよ。クリエーターの100%の作家性が100%表出する、外界とは無交渉である、没交渉であるものが、よりよいものである、と。でも本来、「作家性」ってそんなヤワなものじゃなくて、外部との交渉、例えば「ポリリズム」だったら「エコロジー」をテーマにしたCMソング、という外部からの刺激や制約を与えられても、その上でちゃんと発揮されるものなんです。それなのに、「100%のピュアな作家性ではないから」という言い方で価値を目減りさせようとするのは、あまりに純文学的すぎる。
さやわか なんだかんだ言っても、いまは受け手に作品が届かなければ意味がないんだから、っていうことで作家性のあり方が変わっていっている気がします。昔だったらヒップホップでも渋谷系でもテクノでも、またニューミュージックみたいな古いものでも、全部「自分たちはメジャーシーンにいない本物だ、本物だからこそメジャーシーンにはいないんだ」みたいな発想でいられたんですよ。
藤井 ですね。ただ、そもそもメジャーやマイナーとかプロ・アマに関係なく、表現に携わる以上、どうやって受け手に伝えるかを考えなきゃいけないのは当然なんです。その意識がない「表現」なんて、誰にも見せない秘密の日記と同じでしょう。作家性にこだわるのはいいけど、特定のポジションが表現の価値に繋がるのは、いくらなんでもダメだろうって思います。
さやわか 今はジャンルも嗜好も細分化し、かつ拡散してますから、メジャーに対するカウンターという姿勢だけを拠り所にして「本物」を名乗るのは難しくなっているし、マイナーなものは単に誰にも届かずに埋もれてしまう事態になりがちなんですよね。それは本来、作品を届けたいと考えているはずの作家にとって本末転倒なことだと思う。だからPerfumeのように、芸能界的な文脈を持ちながら中身も本物っていうことを、当たり前のようにやってるのが本当にすごいんです。
吉田 作家性と商業性の両立ってことですよね。ちょっと意識を開けばいいんだと思うけどなあ。それができなくて撮れなくなっちゃったり作れなくなっちゃったり、音楽出せなくなっちゃったりした人が昔はたくさんいたでしょう。いまブレイクしてるクリエーターの人たちは、映画でも演劇でも漫画でも小説でも、作家性神話みたいなものを自分たちで崩してますよ。外界とのコミュニケーションに対して意識を開いてる。
藤井 商業雑誌を作る立場で言えば、僕は作家性と商業性が単純な対立関係とは思ってなくて、要は商売になる作家性と、そうじゃない作家性があるだけなんです。で、両者の間には無数の段階があるし、「商売」の規模にもいろいろあるわけだから、「商売にならない」というだけで作家性が抑圧され、作品が作れなくなるのは本当に不幸だと思います。でも、それを理由にポジションへ逃げちゃうのもおかしくて、「俺は小さなライブハウスでやってる。だから本物だ」とか、「アルバイトしながら劇団をやってます。だから本物です」みたいな人がたくさんいる。自分のポジションで表現の価値を高めようとするのは、「売れてるから正しい」っていうメジャーの理屈と同じですよ。zadan77.jpg
吉田 例えば77号の別記事でも話題になってますけど、電気グルーヴがなんで9年ぶりに新曲を出したかっていったら、タイアップの話がきたからだ、と。それによってなんとなく時間の厚みを感じちゃってた自分の自意識がこじ開けられたみたいなことって、正しいと思うんですよ。
さやわか 今の電気が、ライブで昔の曲とかをちゃんとやって、お客さんに楽しんでもらおうとしているのはホントにいいことですよね。
藤井 やっぱり音楽のマジック信じてますからね、彼らは。特集の取材でもお客さんが昔の曲を聞くことでその頃の自分と自分を取り巻いていた状況をふっと思い出せて楽しくなるのなら、多少気恥ずかしいけど普通にやりますって言ってたなぁ。そういうタフさが電気グルーヴにはあります。
さやわか 本当はものすごくマジメというか純粋な人たちですもんね。ちゃんと届くこと、ホントにいいって言われることを信じてやっている。「Shangri-La」の時とかはそういう純粋さが二回転ぐらいしてから音に現れてたんだと思うんですけど、今は分かりやすくなっている。昔はアンコールに応えたりしなかったけど、この歳になったらむしろそれをやらないと恥ずかしいだろ、みたいなことをインタビューで言っていて、いいなーと思いました。
吉田 それが自分たちにとって楽しいし、お客さんにとっても楽しいと思うからやれるわけですよね。そこでの楽しさを手放して単に商業的にやってるんならまた違うけど、ガチの喜びが伝わってくるから。だから、こっちも楽しいとか、いいってもっと言っちゃうべきなんですよね。自分はいいと思うんだけど、みんなが「いい、いい」と言ってるからもう言わなくていいや、とか思いがちじゃないですか。そうじゃなくて、いいならいいと言おう、と。そんな話を今日はずっとしている気がします。


<Part.6(4月30日掲載予定)に続く>