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フランス取材費は5万円
――『コペルニクスの呼吸』から『鶏肉倶楽部』に至るまでは、どういう道のりだったんでしょうか。
中村 『鶏肉』は短編集だから、原稿自体は『コペルニクス』より先に描いてたんですよね。
T中 いきなり連載はみんな無理なので、短編描きながら考えませんかっていう話をほとんどの人にしてましたね。
中村 『コペルニクス』はもともと読み切りだったんですよ。
T中 短編の構想を聞いた時に、これはもっと長くなるって思ったんだよね、多分。
中村 多分?
T中 中村さんのマンガって、すごいでかい魚を持ってきて、10人分取れるのに「一人前出します」って言われたみたいな感じが毎回するんだよね。どう考えたって1回に入んないでしょみたいな感じがね。
中村 始める時に「『コペルニクスの呼吸』ってタイトルにしようかと思うんです」って言ったら、「ああ、いいですね!」って返ってきたんですよ。まだまだ駆け出しだったわけですけど、一発でいい反応がきたのが仕事をしていて初めてだったから、「初めて一発でOKきた!」って思った覚えがあります。
T中 語感が良かったし、イメージが湧いたんだね。あと、これ自分の記憶の中にあんまりないんだけど、僕が「最初に人物紹介を入れよう」って提案したらしい。
中村 ああ、そうだった。1話のネームがあがったあとに「ゼロ話があった方がいい」ってなって。
T中 人間関係が入り組みそうだったので、登場人物の紹介を最初に語りでやろうと。多分なにかの映画を観てマネしたんだと思うけど。
中村 映画を引き合いに出して、いろいろ説明されることが多かった気がする。
T中 何回か一緒に映画を観に行ったもんね。『バッドエデュケーション』とか観に行かなかったっけ?
中村 ああ行きましたね。いやあエロいもんだったなっていう感じで(笑)。中高年のご夫婦が会場にいて、これはどういう気分で帰るんだろうって。
――『コペルニクス』の時に観に行ったり、参考にした映画はありますか?
T中 映画はなくて、取材に行ったくらいだよね。
中村 取材は結構行きましたね。だってフランスまで行ったんだもん。
――えー!
中村 ちょっとお金出してくれて。5万円くらい。
――5万円(笑)。
T中 いや、もうちょい(※ホントは8万円だったと←後日T中さん談)。今だから言うけど、ここだけの話にしてね。会社の金が出せなくてさ。
M角 えっ、自分で?
T中 だって新人の、まだ連載もしていない人がいきなり取材でフランス行きたいって言って、取材費出ないよ。
U村 T中さんのポケットマネーだったんだ。
T中 それはいいんだけど、中村さん、そのフランス取材の前に熱を出して、僕が出した金を全部パーにしたの。それはショックだった。そのあと自前で行ったんだよね。
中村 心配すぎて具合が悪くなって。
T中 高熱を出して寝込んだんだよね。
――この話、入れたいです!
中村 一人で海外だったからね。その節はご迷惑おかけしました……。
U村 フランスはどうでした?
中村 木下大サーカス的な古いサーカスと、サーカス学校の卒業公演みたいなのを両方見たんですけど。とりあえず、おがくずが敷いてあったのと……
U村 おがくず?
- 「コペルニクスの呼吸 1」
中村 昔のサーカスって、馬術をやるからおがくずが敷いてあるんですよ。卒業公演の方は、近くにいたフランス人の子どもと銃の撃ち合いごっこをして遊んでたことしか覚えてない。大して面白くなかったのかな。
U村 多分そうなんですね。
中村 前衛的でよくわかんない。
T中 でもよく調べて行ったよね。今みたいにネットが便利な時代じゃないのに。
M角 どうやって調べたんですか?
中村 ネットは多少見てたはず。何日にここでやるっていうのを調べて、地図で確認して行ったんだと思うんですけど。今だったら絶対やらないです。
U村 すごい。
中村 ね、よく行ったよ。なんだろうねあれは。自分を試されてるって思ったのかな。
U村 若いって素晴らしい。賭けてるんでしょうね、そこに。
T中 時間もあっただろうしね。
中村 うん。
明日美子さんにも息づく“Yの遺伝子”
――『コペルニクスの呼吸』は連載が始まった時点で2巻分のストーリーが決まっていたんですか?
中村 あんまり考えてなかったと思います。タケオを学校に行かせようとしたら、それは膨らみすぎるから止めた方がいいって言われて。
T中 あれは、学校に行ったら話がそれるし、膨らみすぎるよね。
中村 うん。それを『J』で使ったっていう感じになると思うんですよね。
――面白いですね。『コペルニクス』の2巻が出たのが『鶏肉』と同じ2003年でしたが。
中村 当時は時間があったから、何冊単行本作業してても大丈夫だったんでしょう。
M角 その当時って大学生ですか?
中村 大学生ですね。私、在籍だけは6年してるから。全然行ってなかったけど。ダメなやつですよ。
――どこまで大学生だったんですか?
中村 2000年に受賞した時は4年生で、6年生まで一応在籍はしてて。
――なるほど。『コペルニクス』が出た時には大学生だったんですね。
中村 うん。手続きをしなかったから除籍になっちゃった。余計なお金をかけてしまった。
T中 あのころの絵を見てると、すごい描き込んでるよね。しかも枠線以外ほとんどフリーハンドでしょ、『コペルニクス』は。
中村 つけペンを使って定規で線を引く方法を知らなかったんですよね。
T中 僕も教えられないし。
中村 あの時は安田弘之さんと二人で「定規で描いた線をフリーハンドでなぞるのがいいんだよね」とかって意気投合してた。描けないだけなのに、私の場合は。
T中 松本次郎さんもフリーハンドだったよ。
中村 「エフ」がそういう感じだったんですかね。定規あんまり使わないみたいな。
M角 そういう指導はしてないっていうか。かっちりとした編集部だと「これはこうじゃないといけない」みたいなルールを新人さんに教えそうだけど、そういうのがない感じでしたよね。
U村 まずは個性を伸び伸びと(笑)。
中村 まあ人手もないことですし。
M角 フリースクールみたいでした。
中村 T中さんに言われたことでよく覚えているのが、女性の作家さんはモノローグで始まるのが多いよねって。
T中 そうそう。
中村 で、こんちくしょうって思ったので、すごいモノローグを減らして未だに少ない。
T中 それね、山本直樹さんに「山本さんってモノローグあんまりないですよね」って聞いたら、「モノローグってかっこ悪い」って。山本さんのマンガってモノローグがないし、内心のセリフもほぼないんじゃないかな。
中村 今では、モノローグは少ない方が自分に合ってるような気がしますね。そんなに意味のない言葉をのせてもあれだし。決めすぎてもかっこ悪いしね。
T中 モノローグって文章だから、小説を書くのと同じで、良い文章を書けないとつまんないモノローグになる。だったらいっそ書かない方がいいんじゃないのかなって思う。「わかりにくいからここで一言入れておこう」みたいに、補完的に使うくらいだったら、まずは、なくてもわかる絵を描こうよと。
U村 この教えは「エフ」編集部に代々伝わっていて、今T中さんが言ったような話を新人さんにはいつもしてました。山本さんの教えをずっと守っている感じだったよね。
M角 Yの遺伝子。
――私も受け継いでることが今わかりました。持ち込みでいつも言ってます。
T中 もちろん、モノローグを否定する気は全然ないけど。
現地の空気を知るのが大事
- 「Jの総て 2」より
――『Jの総て』のテーマはどう決まって、どう始まったんでしょうか?
中村 最初は、次は吸血鬼ものを描こうかなって思ってて。特になにも描きたいものがなくて。それで、提案したら「これはダメだな」と。
U村 言いながら、自分でしっくりこなかったんですか?
T中 僕がダメだなって言ったんだよね。
中村 やっぱりなって。その時にT中さんが、「僕のオネエの知人が、会うたびに梅宮アンナに顔が似てくるんだよ」っていう話をしてて。
T中 懐かしいな。2丁目のゲイバーに勤めてたやつね。
中村 その時、きっと梅宮アンナがあの辺の業界では人気のある顔なんだなーって思って。じゃあマリリン・モンローも当時そうだったんじゃないかっていう発想があって、「そういう話を描こうかと思うんですけど」っていう流れで。あの時は資料本も買ってくれたし、DVDも買ってくれたんですよね。
T中 うん、覚えてる。マリリン・モンローの映画。
中村 うわー、こんなに買ってくれるんだーと思って。ありがとうございました。
――観て印象に残ってるものとか、参考になったものってありますか?
中村 『今を生きる』とか。
――当時の風俗を描く時に参考にするんですか?
中村 そうですね。
T中 中村さんは結構資料本を読んでいた記憶がある。時代背景を間違えるとかっこ悪いからね、70年代……。
中村 でも間違えてると思いますけどね。
T中 僕も合ってるかどうか実は危ない。食べ物も一応調べたんだけど、本当に正しいかどうかはよくわかってなかった。Jがニューヨークでクリスピー・クリームのドーナツ頼むじゃない。
U村 Jがリタに「デビルを5つ」って言うんですよね。私もあれでデビルって言うんだって覚えました。
中村 でも、日本ではデビルって名前じゃないんだよね。
U村 そうなんですよね。向こうでは、悪魔みたいに甘いからデビルって言うんだって聞いたことある。
T中 アメリカに行って、初めてクリスピー・クリームを買った時にさ、黒人のぐだーっと斜めに立ってるおっさんと、白人のでぶっとしたおっさんが二人で揚げて詰めてるの。新宿の高島屋にクリスピー・クリームができた時、違う!って思ったよね。
中村 ちょっと違う。
T中 本当は、コンビニの横についてるようなフツーの店だもんね。
中村 そう、そんな感じなんですよね。私も空港で食べて、すごく美味しかったので登場させたんだけど、日本ではあんなにきれいになっちゃって。『J』の時も、一応ニューヨークに行ってるんですよね。
T中 それは僕はお金出してないです(笑)。
中村 やっぱり、現地に行っておくのが大事だと思いました。空気が違いますね。
――描いていて違いがありますか?
中村 もう全然。道の床がどんな風に汚れてるかとかも違うので。
――なるほど。
中村 落ちてるアイスキャンデーの袋が国によって違うとか。
U村 面白いですね。
中村 行けたら行った方が、やっぱりいいとは思います。
M角 明日美子さんと同世代のマンガ家さんで、海外を舞台に描く方ってあまりいなかったじゃないですか。
U村 萩尾先生の世代がヨーロッパを描き、吉田秋生先生の世代がアメリカを描き、という流れのあと、しばらく海外を舞台にしたマンガはあまりなかったんですよね。そこに新星現るという雰囲気がありました。
――「海外を舞台にしたマンガを描こう」と特に意識されていたんですか?
中村 多分、思いついた主人公が外国人だったっていうだけだと思うんですよね。サーカスはフランスの話だし、マリリン・モンローが出てきたらアメリカの話だし。