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私はすごいところに来てしまった
――『Jの総て』の連載は長いですよね。
中村 最初に「3冊描かせてください」って言ったんですよ。
T中 それで、この2巻の表紙がね……。
中村 でも2巻は絶対、T中さんの指導でこうなったんですよ。
――指導(笑)。
T中 いや、まあそうなんだけど。これも今だから言うけど、1巻目の動きがあんまり良くなかったんだよ。それで、動きが良くなかったのと同じ表紙にしたらさらに落ち着いちゃうから、雰囲気を変えようって言ったんだよ。でも、だからってこんなに変えなくてもいいんじゃないの? って。
一同 (笑)。
U村 振り切りましたよ(笑)。
T中 思い切りすぎたっていうか。
中村 「縛ったりとかいいんじゃないの」とか話しましたよね?
T中 うん。でも、こんな絵を描いてきた人もすごいよね?
一同 あははは(笑)
M角 私、この2巻のカバーの時に編集部に入ったんです。
中村 そうそうそう。
M角 本当に新人の、大学を卒業した直後に『Jの総て 2』のコミックスを引き継いでやることになって。で、明日美子さんと初めてお会いしたのが、T中さんと一緒に打ち合わせに行って、このカバーイラストの受け渡し。
一同 (笑)。
T中 全然覚えてない。
M角 「じゃあこのイラストで」ってあがってきた時に、私はすごいところに来てしまったって思いました(笑)。
中村 そうそう。新宿のパパスカフェですよね?
M角 あ、そうですそうです。
中村 「あーこんな新入社員の、こんなかわいい子にいきなりこれかー」って思いました。
T中 これを作ったあとに「とっても買いにくかったです」ってファンレターをいただいて、「あ、これで良かったな」って。
中村 そうですか?
T中 うん。だって、買いにくいと思った人がそれでも買ってくれるだけの引きがあったってことじゃん?
中村 まあそうですね。
T中 でも、どの辺で中村さんの作品が話題になったりとか売れ始めたりしたのかって、僕全然わかんないんだよね。
中村 『ばら色の頬のころ』くらいからですね。
M角 反響がガガっときたのは『ばら頬』くらいからですね。
――『ばら頬』が2007年で『同級生』が2008年なので、ちょうどそれくらいです。
ブレイクポイントは『ばら頬』
――明日美子さんの意識の中で、どの辺がブレイクポイントだったかというのはあるんですか?
中村 うーん。でも、『ばら頬』はやっぱりわかりやすかった。ギムナジウムもので、ファン層がいるジャンルだったから。
M角 ターゲットが明確でしたよね。
中村 もちろん流れでスピンオフを拾って描いたから、すごく狙ったわけではなかったんですけど、動きがいいって言われた時に「ああ、そういうことか」と思った気がする。U村さんに担当が変わったのっていつ頃?
U村 『J』の3巻が終わる時に引き継ぎをして、『ばら頬』を始めましょうっていう時からです。担当という意味では。
中村 前から何度か会ってるから、どこから担当になったかが結構曖昧ですよね。
U村 2巻と3巻はM角さんも一緒にやって。ちっちゃな編集部だったから、T中さんが担当の時も一緒にくっついて会ったり。
中村 あ、そうそう、実際に作家さんを見せた方が早いからって、打ち合わせにU村さんが同行してきて。
――U村さんが初めて明日美子さんの作品に出会ったのは、いつだったんですか?
U村 私は、一番最初に参加したマンガ賞が、明日美子さんが応募した第3回太田エロティック・マンガ賞だったんですよ。入ったばっかりの時で。
中村 ああー。まだまだウブだ。広島の香りがする。
U村 広島の香り(笑)
一同 (口々に)じゃけえ。
――明日美子さんはその第3回が最初の投稿だったんですか?
中村 そうですね。
U村 だから私、最初に審査に参加した賞で明日美子さんがきたから、「マンガ賞ってこんな才能がボンボンくるものなんだ」と思って。
中村 いやいやいや。巡り合わせがあるんですよね。
初仕事は「原稿料減らしていいですか」
――『Jの総て』の次が『J』のスピンオフっていうのは、最初から決まっていたんですか?
U村 明日美子さんが、この二人の過去をもっともっと描きたいと仰ったんですよ。
中村 そうね。
M角 私もうっすら覚えてます。
U村 ね。「えっ、そんなの読みたいに決まってるじゃないですか」みたいな。『J』を連載中に膨らんでいたんですよね。
中村 多分。
U村 この二人の過去というか、スクール時代がまだあるんだよねって仰って。
中村 モーガンとか、キャラが濃い割にそんなに出てないから。
- 付箋のついた「Jの総て 3」「ばら色の頬のころ」
U村 私、昨夜ちょっと読み返して、モーガンの良いところに付箋つけたら止まらなくなっちゃった。
一同 あはははは(笑)。
中村 私の担当になった時が、編集長になった時でした?
U村 そうです。
中村 はっ、「エフ」が一番薄い時期ですね。栄養失調になった時。
U村 そうです。最薄期。
中村 申し訳なさそうに、「原稿料減らしていいですか」って。
T中 え、そんな話したの?
U村 それが明日美子さんとの初仕事です。
M角 うわー!
中村 初めてでこれ言うの大変だっただろうなって思って(笑)
T中 もともとそんなに原稿料高くなかったよね?
U村 決して高くない原稿料をさらに下げるって鬼の仕打ちを。連載をお願いするにはどうしても原稿料の問題をクリアしなきゃいけなくて。その直前に、明日美子さんから手紙をいただいたんですよね。「新担当よろしくお願いします」って。
中村 うんうん。
U村 そこにね、図解で「T中さんの時のやり方」って。
中村 あー! 描いた描いた!
U村 覚えてます?「私はプロットを出さないので、まずネームを見せます」みたいなことが、全部絵で描いてあるんですよ。
――それ、私にも教えてください。
中村 今ではもう豪腕で知られるU村さんだけど、当時は本当にふわふわとしたお嬢さんだったので。肉付きも今より良かったし。
U村 編集長になる前は菓子パン期だったから(笑)。いや、もう頼りなかったと思います本当に。
中村 でもその後、順調に「エフ」は太っていき、U村さんは痩せていく。
一同 (笑)。
2度のジャンプアップ
- 「コペルニクスの呼吸」
- 「Jの総て 3」
――そんな大変な時期の『ばら色の頬のころ』だったと初めて知りました。
中村 でも「エフ」が薄い時期だったから、結構ページ数を好きに描かせてもらえましたよ。原稿料も下がってるから、こっちも気が楽に。
一同 (笑)。
中村 いっぱい描いたら大変かなとかあるじゃないですか。50ページも描いたらすごい金額になっちゃうとか。
U村 それに、ほんとに増やしたかったので。
中村 だからわりと伸び伸び。相変わらず時間もあったので。
――ちょうどこのくらいからですよね。明日美子さんがお忙しくなっていく時期は。
中村 これが終わって、「OPERA」(茜新社)から声がかかって。
U村 さっきブレイクスルーの話がありましたけど、『ばら頬』の話を始めた時期くらいに、白泉社に少女マンガの投稿をしていらして。あの辺から絵柄が変わってきたんですよ。
M角 受け入れられやすい絵柄になりましたよね。
U村 『J』の3巻くらいから、本当に間口が広がっていった。一般向けになっていく過程に『ばら頬』がガチっと合ったので、ジャンプアップしたっていうのは思います。
T中 今見ると、『コペルニクス』の後半でも変わってるんだよ。
中村 そうですか?
T中 後半のオオナギが出てきて、トリノスがタケオになって、ルネが出てきて……というあたりで、サーカスのシーンが減って人物関係の話になってから、しっかりしたコマ割りになってる。
――では、コペルニクスの後半で一回変化ポイントがあり。
中村 投稿は、T中さんが担当の時に始めてはいるんですよね。よそに投稿して、名前売って単行本売ってくださいって言われたから(笑)。
一同 (笑)。
中村 「頑張ります!」って(笑)。
T中 出世魚ね。回って帰ってくる。
中村 『J』の3巻あたりは、画材を結構悩んでる時期ではありますね。一回全部丸ペンで描いたり。パンチが弱すぎるから太いペンも使ったり。
――振り返ってみると、試行錯誤とジャンプアップの時期が2回くらいあったのかもしれないですね。